暖かいはずの春季キャンプで、なんと遭難しかかった大物虎戦士がいる。1985年の日本一に貢献した真弓明信だ。
真弓がこの大災難に遭遇したのは1990年2月1日。キャンプイン初日だった。この年は前年の村山実監督から引き次いだ中村勝広新監督の就任1年目だった。
当初、中村監督の「いきなり暖かい場所より、寒いところでスタートした方がいい」との考えから、甲子園でキャンプ開始となる方針だった。ところがそれが裏目に出る、とんでもない事態が勃発。日本列島が大雪に見舞われ、大パニックに陥ったからだ。
阪神はこの日、西宮市の広田神社で午前10時から必勝祈願を行い、甲子園に移動して練習を開始する予定になっていた。ところが前日から振り続いた雪が、積もりに積もる。それでもベテランの真弓は「この時間なら余裕で間に合う」とばかり、午前7時20分には神戸市垂水区にある自宅をタクシーで出発したという。
雪のため大渋滞だったが、三宮付近を通過したのは、まだ午前8時過ぎ。「楽勝で間に合う」と余裕だったが、阪神高速の摩耶ICと魚崎ICの中間点でストップ。その後、タクシーは1センチも動かない状況になっていた。
高速を降りて走ろうにも、下を走る国道43号線が大渋滞。午前10時半になんとか球団に連絡を入れたが、正午になってもタクシーは進まなかった。
このままではラチがあかないと考えた真弓は、財布にあった2万円を運転手に渡してタクシーを下車。雪をかき分けて、高速道路を歩き始めたのである。
深江ICで高速を降りて国道を歩き、阪神芦屋駅まで雪の中を1時間以上もかけて、ほうほうのテイで5キロを行軍。雪に阻まれながらもなんとか阪神電車に乗ることに成功した。が、甲子園にたどり着いた頃には午後2時を過ぎており、練習はほぼ終わっていた。真弓の自宅から甲子園までは約30キロだが、なんと時間にして7時間もかかったことになる。
さすがの真弓も「7時間あればハワイまで行けるで」とボヤくことしきりだったというが、春季キャンプで遭難してはシャレにもならない。
(阿部勝彦)