その片鱗は、すでに高校時代から現れていた。逸ノ城は中学卒業後、弱冠14歳でモンゴルから鳥取城北高校へ相撲留学。高校卒業後もそのままコーチとして残り、全日本実業団相撲選手権大会で優勝。実業団横綱となったことで湊部屋から声がかかり、幕下15枚目付け出しでデビューしたのが、今年の初場所だった。
「高校時代のニックネームは『イチコ』。名前の『イチ』と『いい』という意味の方言の『イイチコ』から付けられた。とにかくスケールが大きい。御飯が大好きで、どんぶり10杯は食べたそうです。貴乃花部屋所属でモンゴル出身の貴ノ岩とは、故郷の町が比較的近く、方言が似ているため、高校時代から親しかった。そのため、部屋に出稽古に行ったところ、貴乃花親方がこれは逸材だと思わず口走った。ところが、外国人力士枠は1部屋1人と決まっているため、スカウトできなかった。湊親方は貴乃花親方の言葉を聞いていて、イチコ青年を入門させると『逸ノ城』と名付けた」(元力士)
“平成の大横綱”貴乃花も目を細めるその素質が、みごと開花した先の秋場所では、横綱・白鵬と千秋楽まで優勝争いを演じ、13勝2敗の成績を残した。だが、ここにきて、不安な部分も浮上しつつある。
ベテラン相撲記者が指摘する。
「秋場所後の巡業では連日、メディアとファンに揉みくちゃにされた。特にテレビ出演が続いて、きつかったみたいです。逸ノ城は確かに強い。でも、朝青龍のようにワルではなく、シャイなんです。しかも、中学まではウランバートルから車で10時間もかかる人口4000人の村で羊を飼う生活をしていた。純朴な青年にとって、連日押し寄せる人の群れはかなりのストレスになり、背中に帯状疱疹ができてしまい、9日間入院した」
病院では点滴治療を続けた。口から栄養をとるというより、点滴で栄養をとっていた。絶食していたため、体はむくみ、水ぶくれ状態になっていたという。
「食べないのに体重が増え、退院直後にもかかわらず97センチあった太腿が99センチになっていた。逸ノ城も『普通の人は食べたら太るけど、自分は食べなくても太るし、食べたらもっと太る』と困惑しています」(ベテラン相撲記者)
退院後、九州場所に臨むため博多入りしたあとも力が入らず、稽古は部屋の幕下、三段目としかできなかった。
「9日間も入院したことによる骨盤のズレが原因だった。骨盤のズレを矯正するため、1泊2日で大阪の整骨院に出かけ、治療を受けた逸ノ城本人は『80%は戻った』と回復宣言。ただ、周囲の期待をよそに『8勝が目標です』と不安を隠しきれない様子でした」(ベテラン相撲記者)
だが、相撲ジャーナリストの中沢潔氏は「10勝は堅い」と実力を高く評価。
「秋場所で完敗したのは白鵬だけ。巡業中、鶴竜にかわいがられていたが、これから出世する力士を横綱が痛めつけるのは巡業の売り物で気にする必要はない。九州場所も大関、横綱の一角を崩し、10番は勝つでしょう。そして、もし、来年の初場所で優勝でもしようものなら大関です。僕は来年中に横綱に駆け上がると思いますね。人気力士の遠藤とはモノが違う」
九州に上陸した“怪物”が暴れまくることになりそうだ。