「土佐に行くぜよ」と言えば「カツオですか、いいですね」と答える人が多いかもしれない。半分、当たっている。なにしろ無類のカツオ好き。死ぬ前に何を食べたいか聞かれたら、和ならカツオ、洋ならムール貝と即答する。それくらい春先から晩秋まではカツオを食べる。目の前に食べ物があると食べずにいられない愚食家にとって、土佐は垂涎の的なのだ。
土佐に行くのは高知競馬で大儲けしたいためなのだが、高知を想像しただけでカツオで頭の中がお花畑になるから、ちょっと厄介だ。
全国に地方競馬、ボートレース、競輪、オートレースの公営競技場はいくつあるかといえば、現在87場。4年前に全国の競輪場を歩いて「全43場 旅打ちグルメ放浪記」(徳間書店)を出版し、その後、競輪以外の公営競技場も歩いて77場、原稿を書いてきた。残るは10場。そのカウントダウン10の地が高知競馬だ。美味いもんを食ってお金も儲けようという虫のいい話なわけで、はたして成就するかどうか。目標達成は年内の想定だ。
高知龍馬空港でレンタカーを借り、市内を通って桂浜に行く途中にある高知競馬場まで二十数キロ。時間にして40~50分だろうか。競馬場は1985年に土佐湾まで数分の長浜宮田に移る前は、浦戸湾に面した市内の桟橋通にあった。内馬場は全て調整池。それを引き継いだのか、現在の周囲を小高い山と森に囲まれたこじんまりとした競馬場も、内馬場の左半分は調整池になっている。その光景がなんとものどかだ。幕末に活躍した坂本龍馬の地元のような気がしない。
ここは20年前に一大ブームを巻き起こした名馬、ハルウララ誕生の地でもある。当時の高知競馬は売り上げが低迷し、2003年4月には「赤字が出れば即廃止」という厳しい状況にあった。そこに現れたのが1998年のデビュー以降、2004年まで勝利なしの113連敗、最後は5着で引退した「負け組の星」ハルウララだったのだ。
結局、大フィーバーもあって、高知競馬の2003年の収支は黒字になった。
ハルウララ人気に火をつけたのは、今も高知競馬の実況を担当する橋口浩二アナウンサーだった。橋口アナから地元紙記者らへ情報が伝わり、アッという間にハルウララの名前が全国に広まった。今も橋口アナの無駄のない説明と語り口、的確な実況が暮れなずむ競馬場に流れると、身に染みる。かくあるべき。実況アナのお手本である。
高知競馬のニックネームは「夜さ恋ナイター」。土佐の「よさこい節」をナイターに引っかけて絶妙だ。全国の公営競技では様々なニックネームがつけられているが、これほどロマンがあってユーモア溢れるネーミングはない。
いや、そんなロマンチックはことばかりも言っていられない。勝負がある。10月7日、1年を通してナイターの高知競馬(年末年始を除く)は第8回、第5日だ。
初見参の際はそれなりに予習して出かける。ともかく前回、前々回をチェックしてみた。すると人気馬の3連単の、興味深いデータをキャッチすることができた。
9月30日は11レース中、1番人気が1着だったのは8回。3着までの連絡みでは1番人気10回、2番人気が8回だ。
10月1日。11レース中、1番人気の1着は6回、連絡みでは1番人気10回、2番人気が9回だった。しかも1番人気、2番人気、3番人気が3着までを締めたレースが6回もある。高知競馬は人気馬で決まる確率がとても高いのだ。
最古の専門紙「中島高級競馬號」には「本紙◎の時の勝率と連対率」「2023年の1番人気時の勝率と連対率」いう珍しいデータがある。それによれば、リーディングジョッキーの赤岡修次騎手が◎の時は勝率57.8%、連対率74.1%、1番人気時は勝率57.7%、連対率75.4%とある。
こんな有益なデータがあれば、初めての競馬場でも鬼に金棒。実はそう思って安心してしまったのが、間違いの始まりだった。
(峯田淳/コラムニスト)