映画とはやはりなんらかの予見、予知的な要素をはらむものなのだろうか。岩井俊二監督の新作「キリエのうた」を見て、最近起こったある事件の当事者が、頭をよぎった。金銭詐欺の容疑者として逮捕された「頂き女子りりちゃん」だ。
「りりちゃん」その人は、報道が出てからなぜか気になっていた。金銭を要求するSNSの映像、詐欺マニュアルの販売だけではそれほど気にはならなかったが、ある番組を見て俄然、関心を持った。
そこには女性カメラマンが撮った、彼女の「日常的な」写真があった。「りりちゃん」は、派手な外見で登場していたSNSとはガラリ変わった姿でうなだれ、路上に座り込んでいた。
なんらかの狙い、意図を感じさせる写真であり、その姿がどこまで現実に近いかはわからない。ただそこに、詐欺行為の背後にある黒々とした彼女の日常、生活の闇が見えたのは事実であった。
「キリエのうた」は最初、2人の女性が中心となって話が進む。アイナ・ジ・エンドが演じるキリエと、広瀬すず演じるイッコだ(2人の名前は2通りある)。主役はキリエだが、「りりちゃん」は後者のイッコとダブッて見えた。
イッコは色とりどりのカツラや、きらびやかな服装で着飾っている。路上ミュージシャンのキリエにふと目をやり、帰る場所がないキリエを自分の住まいに連れて行く。2人は知り合いだった。
イッコの住まいが度肝を抜く。20代の女性が住める場所ではないのだ。その理由は、しだいにわかる。彼女は、男を手玉にとる犯罪に関与していたらしい。そのイッコが突然、姿を消す。犯罪の中身、不在の突発性が、なぜか「りりちゃん」を彷彿させる。
映画はキリエの流転の人生を、姉も含めて描くのが主眼だ。だからイッコが途中でいなくなっても、不自然ではない。彼女はあくまで、脇にいる役柄だ。ただ、危なっかしく浮遊する彼女の生き方が、その全貌がぼやけてよく見えないだけに、やけに気になって仕方なかった。
結局、最後まで彼女の内面が深く描かれることはなかった。家庭環境が彼女の生き方に関連しているようだが、それだけでは弱い。「りりちゃん」における写真のような影の部分、姿が明瞭ではないのだ。主役ではないにしても、少しそっけないように感じた。
広瀬すずはどちらかというと、役に没入するタイプの俳優である。それが今回、イッコという役に没入していない感じがあった。演出を含め、どこまで計算されていたのかはわからないが、その非没入感が奇妙な現実味を帯びたとも言える。
「キリエのうた」は、主役の才能あるミュージシャンより、その脇にいたイッコが「りりちゃん」を通して見る時、みるみる「存在感」を増していく。ぼやけてよく見えないから、逆に「リアル」なのだ。彼女は、どこかに、どこにでもいる。予見、予知とはそのようなことかもしれない。
(大高宏雄)
映画ジャーナリスト。キネマ旬報「大高宏雄のファイト・シネクラブ」、毎日新聞「チャートの裏側」などを連載。新著「アメリカ映画に明日はあるか」(ハモニカブックス)など著書多数。1992年から毎年、独立系作品を中心とした映画賞「日本映画プロフェッショナル大賞(略称=日プロ大賞)」を主宰。2023年には32回目を迎えた。