今、ごく一部の世界で話題になっている本がある。著者はムード歌謡の歌手にしてお笑いモノマネ芸人。昭和歌謡のマニアで、ラジオで自分の番組を持ち、昭和歌謡を流しまくっている。タブレット純という男だ。その彼が、自分が尊敬してやまない先輩芸能人を深掘りするシリーズを始めたという。その第一弾として出版したのが「タブレット純の日本芸能イジン伝・その① おひとりさま芸能人 エド山口に訊く!」(山中企画)だ。
エド山口はミュージシャンであり、俳優であり、DJであり、お笑い芸人であり、芸能界一の釣り人であり、そしてモト冬樹のアニキでもある。しかし、決して誰もが知る「一線級芸能人」ではない。まぁ、ちょっぴりマイナーだ。だが、タブレットにとっては、そのほどよいマイナー性と、要するに本業が何なのかよくわからないアイマイさが「タマラない」のだ。
あれこれと手を出して結局、どのジャンルにもハマらない「おひとりさま」。そこに自らとの類似点を感じているのかもしれない。
今回のタブレットの著書は、そのエドの生い立ちからエレキギターとの出会い、バンド活動、六本木での弾き語り生活、「お笑いスター誕生!!」(日本テレビ系)出演をキッカケにした芸能生活、レポーター、俳優としての活動など、時代を追って対談形式で進んでいく。
昭和23年生まれのエドがベンチャーズに魅了され、でもグループサウンズの一員には食い込めず、やがてギターを抱えて芸能界に飛び込んでいく。このプロセスを知るだけで、とりわけその当時を知る団塊の世代にとっては「青春のノスタルジー」だ。
とにかく、エドは医者の家に生まれながら医大の受験にことごとく失敗して、とうとうバンドマンになってしまった「ドラ息子」。しかも弟のモトさえ同じ道に引き入れてしまったんだから、始末に悪い。父親は東京巣鴨・地蔵通りの産婦人科医。とある有名な女優がお忍びで診察に訪れた、というくらいの名医だったのに。
ギターを始めたのだって、「女のコにモテたかったから」と明言している。中学2年の時、家の近所の質屋で質流れギターを買ったのも、いずれ女のコを横にギターをつま弾いてみせたかったからとか。事実、その翌年の夏、江の島で女のコを横に座らせて「禁じられた遊び」を弾いたものの、波の音がうるさくてぜんぜん聴こえなかったらしいが。
高校時代はベンチャーズに夢中で、あのエレキの「テケテケ」と「トッテトッテ」をやりたいのに、一人ではできない。そこでまだ髪がフサフサだった弟のモトを仲間に引っ張り込んだ。
医大受験に失敗し、名古屋で浪人生活を送っていた際も、地元のジャズ喫茶のステージに上がるなど、まるで勉強していなかったという。
とにかくその終始一貫した、我が道を行く「ドラ息子人生」。これはなかなか興味深いのだ。
一応、仲間と「遊びで」バンド活動はやっていた。ただ、弾き語りで十分稼げるし、さほど不満もなかった。が、ちょうど30歳になった時のこと。弾き語りを終えた六本木の交差点で、顔見知りの松崎しげるから、こう言われたという。
「エドさぁ、もう行くっきゃないだろ。マイナー、アマチュアの先頭じゃなくて、メジャーのバスに乗んないと前に行けないよ」
そこで彼は、一歩立ち止まって考えたというのだ。(つづく)