子供の頃から最も身近にエド山口を知る実弟・モト冬樹も、エドが「おひとりさま」として生きていくのが合っている、と認めている。
「オレなんか小学校で野球もやったことないのに、みんなで野球チームを作ろうとした。同じユニフォームを着たかったの。みんなでひとつの目標に向かっていくのが好きだった。アニキは違う。周りに合わせるのが得意じゃなかった」
それでやっていた部活は、ひとりで相手に立ち向かえる卓球だった。
まだモトが高校を出たてだった頃に、一度はバンマスがエド、そのメンバーがモトでバンドを組んだが、その時にも、モトはエドが「群れる」のに向かない人間であったのを見てきている。
「妙に気を使いすぎるんだよ。リーダーだったら、もっと強引に『オレの言う通りにしろ』って押し通せばいいところを、メンバーの意見を聞きすぎたりして、かえってうまくいかなくなったり。優しすぎんのかな」(モト)
テレビタレントとして活躍するようになっても、それは変わらないと、とモトは指摘する。
例えばエドは、MCに「どうぞご自由にしゃべって下さい」と振られて喋ると、どんどんピッチが上がって盛り上がる。ところが、誰かが喋っているところに切り込んでいくとか、掛け合いで丁々発止というのは、どうも苦手だ。集団トークになるとつい引き気味になって、本領を発揮できないという。
「だからこそ『お笑いスター誕生!!』で、ピン芸人として脚光を浴びた時は、アニキにはピッタリ合ってると思ったよ。ラジオでDJやるのも合ってたし、今のYouTubeも『水を得た魚』なんじゃないかな」(モト)
ちなみに、もうひとつ。モトがエドとの関係について語った中で、なぜか印象的だった話を。まだ30年近く前、兄弟2人でバンドを組んで「東京ドンバーズ」と名乗り、サザンオールスターズの松田弘がプロデュースしてCDを出した。ところが、どうも火がつかない。なぜなのかと思って、気付いたことがあるという。
血を分けた兄弟なので声の質も似ているし、すぐに自然にハモれる。でも、同質の声でハモるより、違う感情、違う声質の人間がぶつかり合った方が、ハマッた時の迫力は倍化するらしいのだ。実際にモトは、違う声質のグッチ裕三とのコーラスで、それを体験している。ビジーフォーが成功した秘訣も、どうもそのあたりにあるかもしれない、という。
「日本のコーラスって、だいたい相手に合わせて、声を同じにしようとするだろ。その点、アメリカあたりは思い切り自分の声をぶつけ合う。だから迫力が違うんじゃないかな」(モト)
やはり東京ドンバーズの活動は、あっさり終わった。
エドはこれからどうしていけばいいか。モトはこう答えた。
「アニキは周回するマグロと一緒で、ひとりで喋り回り、動き回ってなきゃいけない人間。止まったら終わり。だからひとりで周りに左右されずに、勝手にやってもらってればいい」
そのへんは、エド本人も自覚している。
「オレたちがやってるのは、いつもフリートーク。その場限りで消えていく。でも消えていくものだからこそ、好き勝手にやれる」
テレビの釣り番組を30年以上もやり、エレキバンドのバンマスをやり、ドラマに呼ばれれば殺される被害者も犯人役もやり、曲も作り、自ら選曲した曲を流しつつラジオDJもやり、YouTubeで昔のGSや歌謡曲の思い出話を語り続ける「二線級芸能人」。
まぁ、こんなことをやり続けている75歳は、立派な「おひとりさま」だとは思う。