エド山口の活動は年を追って多彩になり、要するに何が本業なのか、わけがわからなくなっていく。「お笑いスター誕生!!」が世に出るキッカケだったこともあり、落語家や漫才など、お笑いの人たちと一緒に営業に行ったりもした。ミュージシャンとしては、仲間とバンドを組んでステージに立つ。中でもベンチャーズのコピーバントとして立ち上げた「東京ベンチャーズ」は、今も定期的にライブを続けている。
もちろん作詞、作曲もする。俳優として、ドラマ出演もした。ラジオのDJとしてもいくつもの生放送を、自らの選曲でこなしていく。
半世紀以上前に始めた「釣り」は、もはや単なる趣味というより、もはや仕事の一部になっている。釣り具メーカーとアドバイサー契約も結んでいるし、釣り雑誌の連載、テレビの釣り番組のメインキャラクターとしても登場する。芸能界でも、あいざき進也やコント赤信号・小宮孝泰など、「釣りの弟子」といえる人たちがたくさんいる。ただ、エド本人によれば、
「いってみればオレは、芸能人としちゃ二線級だよね。俳優ではだいたいバイプレーヤーで、2時間ドラマなんかでも、途中で殺されちゃうような役ばっかり。ひとつの道を貫いてそこでトップになったわけじゃないし、こっちの道がダメならあっち、東海道を途中まで歩いてダメなら中山道の方に行ってみるか、みたいな人生だから」
そうは言うものの、「おひとりさま芸能人」としての誇りも持っている。あれこれと手を出して結局、どのジャンルにもハマらない「おひとりさま」。それで「タブレット純の日本芸能イジン伝・その① おひとりさま芸能人 エド山口に訊く!」(山中企画)という書籍まで発売されているのだから。
エドが言う。
「よく思うんだ。高倉健さんはカッコいいけど、ギターは弾けない。小林稔侍さんはすごい役者だけど、作曲はできないし、お笑いのネタもできない。オレはドラマでは、主役はない。基本的に子供番組でも、子供が主人公。だけどラジオのDJ、作詞・作曲、磯釣りをやらせれば、オレは主役。『おひとりさま』で主役。こういう生き方でもいいんじゃないかと、最近は思ってる」
かつて亡くなった母親から、こんな話をされたことがあるという。
「お前は、釣りがあって救われたね」
「どうして?」
「だってさ、お前は人に気を使うだろ。海や川が相手なら、気を使わなくていいじゃないか」
実は1980年代、エドが「お笑いスター誕生!!」でブレイクしたばかりの頃、あの「たけし軍団」から「入らないか」と誘いを受けたことがあるらしい。
本人も悩んだ。もし入れば、当時のたけし軍団は飛ぶ鳥落とす勢いだったし、仕事も増えるだろうし、活動の幅がさらに広がるかもしれない。だが結局、エドは誘いを断ったという。軍団に入れば、どうしても「たけしさんの下」として制約を受けざるをえない。自分はあくまで「やりたいことをやりたくて」芸能界入りしたのに。要するに、体質的に群れるのが苦手なのだ。
事務所をいくつも移籍した末に、今はあちこちの事務所と業務提携して、「できる」と思った仕事は受けて、そうでない仕事は断る。まさにマイペース。基本的には、ほぼ自分が窓口になっている。他人から「二線級」と呼ばれることにも、全く抵抗はないそうだ。
「オレは一線級とされていた芸能人が落ちていくのを、イヤっていうほど見てきた。すぐ横にいたから。正直、二線級でいて、好きなことをやりたいようにやっていくのがいちばんラクで楽しい」
今、力を入れているのはYouTubeの「Oh!エド日記」。昭和の歌謡界やGSの裏話をたっぷり聞かせてくれるとあって、サザンオールスターズ・桑田佳祐のようなプロミュージシャンまでがファンになっているという。