脚本家の山田太一さんが、11月29日に亡くなった。享年89。テレビドラマ界の最高峰にいた人だ。主要な作品リストを見て、何本かが頭をよぎった。やはり1970年代から80年代が圧巻だった。
「藍より青く」「男たちの旅路」「岸辺のアルバム」「沿線地図」(以上、70年代)、「獅子の時代」「想い出づくり」「早春スケッチブック」「ふぞろいの林檎たち」(以上、80年代)などがズラリと並ぶ。
どれも忘れがたいが、個人的に最も印象深いのは、1973年にTBS系列で放送された「それぞれの秋」だ。理由は内容そのものではない。登場した若手俳優たちの魅力が抜きん出ていたからである。
小林桂樹、久我美子の両親に、林隆三、小倉一郎、高沢順子という子供たちの一家。桃井かおりと火野正平も登場した。小倉、高沢、桃井、火野が若手俳優である。
魅力の源泉は、俳優たちがみなブレイク中、あるいはブレイク寸前の俳優ばかりだったことが大きい。加えて小倉、高沢、桃井は、映画との関係が深かったからだと思う。
すでに映画にのめりこんでいた筆者からすると、タイミング的に、映画界の若手俳優がテレビドラマに一気に越境してきた感じがあった。ワクワクした。
小倉は子役出身で、市川崑監督の「股旅」(73年)のあとの出演だ。ちょっと頼りない、おどおどした役が彼の個性を決定づけた。
高沢はTOTOのCMが評判になってから、由美かおるのあとを引き継ぎ、「新・同棲時代~愛のくらし~」(73年)に主演していた。キュートだった。
桃井に至っては、藤田敏八監督の2作品「赤い鳥逃げた?」(73年)、「エロスは甘い香り」(73年)で圧倒的な人気を誇り、若手女優No.1にのし上がっていた頃だ。「それぞれの秋」は、その勢いのピーク時の出演であった。
小倉と同じく子役出身の火野は人気は出ていたが、「それぞれの秋」の斜に構えた演技が引き金になったかのように、翌年には「俺の血は他人の血」(74年)で初主演を果たす。そのような流れが、テレビドラマと映画でできていた。
では、若手俳優の何が魅力的だったのか。それぞれの個性が山田太一さんの脚本にピタリとはまったから、としか言いようがない。いわば、山田脚本が若手俳優を引き寄せたのだ。
個人的には、ともに女子高校生役を演じた高沢と桃井に、同時代の息吹を感じた。同時代の息吹とは、時代に背を向けつつ、自身の行く道筋を不器用に格好悪く模索している若者像のことである。
高沢は長い髪が印象的で、清楚な風貌ながら不良っぽくも見え、ワルぶってはいたが地方の素朴でいたいけな10代(筆者のこと)のハートを鷲づかみにした。
スケバン役の桃井は、長いスカートをなびかせ、ぼそぼそ声、けだるい風情で桃井節全開だった。シラケ世代のシンボル的な存在感が、お茶の間でも威力を発揮した。
山田脚本が描いた若者たちの先行きが不透明な時代相は、今も同じだろう。ただ、当時はどこか楽観的な趣があった。先行きが見えないが、暗くはなかった。
あのどこか明るい兆しは、今思い出してもゾクゾクする。全てが許されるような…。山田さん、ありがとうございました。
(大高宏雄)
映画ジャーナリスト。キネマ旬報「大高宏雄のファイト・シネクラブ」、毎日新聞「チャートの裏側」などを連載。新著「アメリカ映画に明日はあるか」(ハモニカブックス)など著書多数。1992年から毎年、独立系作品を中心とした映画賞「日本映画プロフェッショナル大賞(略称=日プロ大賞)」を主宰。2023年には32回目を迎えた。