正式名称は「保温洗浄式人体模型」という、第1次南極越冬隊の男性隊員用の玩具、通称「南極1号2号」の製造はスッタモンダの末、とにもかくにも義足を作る医療器具業者の手に委ねられた。
ところがその後、さらなる大問題が持ち上がる。新田次郎の実録的小説「氷葬」にも、問題の背景にある事情が次のように記されていた。
〈このころ南極観測隊の準備工作は大詰めに入っていた。各部門で出してきた予算を総合すると、国が南極観測のために用意した予算の三億円をはるかに超過した。二割削減の通知が各部門に通達された〉
そして予算削減の第一の対象とされたのが、保温洗浄式人体模型だったのである。
本連載の第2回目では、担当事務官が苦心惨憺の末に稟議書とともに起草した、大真面目にして詳細な「仕様書」の中身を紹介した。ところが予算削減を迫られる中、保温洗浄式人体模型の仕様もまた、大幅な変更を余儀なくされるに至ったのだ。
例えば「全体をゴムで製造」との仕様は「腰部だけゴムで製造」に変更された。また、保温方法は下腹部にだけ湯を入れて温める方式に改められ、可動と固定が自由自在とされていた両手両足についても、それ自体が不要とされてしまったのだ。
極め付きは、下腹部に密植されるはずだった人毛が「黒ブタの毛」に変更されたことだった。両手両足のない女体模型に密植された黒ブタの毛。そのグロテスクな姿を目の当たりにした担当事務官は「こんなものを南極に持っていかせるわけにはいかない。かくなる上は、製品検査もする必要はない」と主張したが、周囲はこれを認めなかった。
そうして迎えた検査当日。新田は「氷葬」の中で、丸ハダカにされた女体模型を前に、検品作業に応じようとする製造業者の様子を、次のように描いている。
〈薬罐にわかした湯を、人形の臀部の栓を抜いてそそぎ込んで置いて、人形をもとどおりにして、腿のつけ根しかない人形のそこを開いて見せようとした〉
その刹那、担当事務官は「もういい」と言って、人形から顔をそむけたという。
それでも計画そのものは、粛々と進められていった。担当事務官にとっては、役所仕事のバカバカしさを痛感させられた瞬間だったに違いない。(文中敬称略。つづく)
(石森巌)