第1次南極地域観測隊の男性越冬隊員用に準備された「保温洗浄式人体模型」のうち、「南極1号」と呼ばれた一体については南極到着後、未使用のまま帰りの船内で処分されたか、南極の氷原で氷葬に付されたとされている(前回記事参照)。では「南極2号」と呼ばれたもう一体は、どのような運命をたどったのか。
新田次郎の実録的小説「氷葬」によれば、南極1号のあまりにもグロテスクな姿を目の当たりにした越冬隊長が、南極2号については梱包を解かぬまま、折り返し帰還する砕氷船「宗谷」に積み込ませて返送したとされている。この点については別の文献にも同じ記述が存在しており、ほぼ事実と考えて間違いないだろう。
しかし、南極2号の「その後」については、公式記録も文献も残されていない。そんな中、新田の「氷葬」は、折り返し帰還中の宗谷で発生した珍事が鮮やかに描かれていた。
好奇心を抑え切れなくなった3人の船員が、南極2号が積み込まれている船倉に忍び込み、その梱包を解いて中を確かめた時のことだ。
下腹部に黒ブタの毛が密植された、両手両足のないグロテスクな人形。「氷葬」には2人の船員が「使う気が起こらない」「返送するのも当然だ」との感想を述べる中、いささか酔っていた3人目の船員が「なあに、使おうと思えば、使えるさ」と叫ぶや、南極2号に挑みかかっていった顛末が次のように記されている。
〈第三の船員はズボンを取ると、その人形に覆いかぶさって行った。(中略)第三の船員の叫び声が起った。彼はワセリンを使わなかった。彼は彼自身を押えて飛び退いた。使用法を誤ったので自身に擦過傷を負ったのである。その船員は、わけのわからぬ怒りの叫び声を上げると、力一杯、人形の恥丘を踏みつけた。ブタの毛の恥丘は醜くつぶれた〉
新田によればその後、下腹部が無残に破壊された残骸を発見した船長は、南極2号を船上からの「水葬」に付すよう、部下に命じたという。
南極1号2号の数奇な運命を考えると、ベールに包まれてきたその歴史は「秘史」であるとともに、なんとも名状しがたい「哀史」であったとも言えるだろう。
ちなみに南極1号2号以降、新たな保温洗浄式人体模型が南極に持ち込まれたという記録や証言は存在しない。(文中敬称略。おわり)
(石森巌)