まだ敗戦の記憶が残る1956年(昭和31年)11月8日、第1次南極地域観測隊の越冬隊員53名らを乗せた観測船「宗谷」が、東京の晴海港を出港した。
この時、スクラップ寸前のボロ船を改造した宗谷に積み込まれた南極越冬隊員用の玩具、俗に「南極1号」「南極2号」と呼ばれた2体の玩具については、今なお神秘のベールに包まれた「都市伝説」として語り継がれている。
南極1号2号についての公式記録は存在せず、第1次越冬隊長を務めた西堀栄三郎の「南極越冬記」、あるいは医師として第1次越冬隊に参加した中野征紀の「南極越冬日記」などに、当事者としてのわずかな関連記述が認められるにすぎない。
そんな中、1970年(昭和45年)、気象庁に勤務していた作家の新田次郎が小説誌「オール讀物」9月号に、南極1号2号を題材にした実録的小説「氷葬」を発表する。新田は山岳小説や歴史小説で有名だが、ファクトに取材した科学小説の名手としても知られており、この小説で掘り下げられた真相もまた、実に生々しい。
そこで本連載では、新田の「氷葬」を中心として、西堀や中野ら当事者による著作のほか、以後、65次に及ぶ観測隊の関係者らから得た情報も加えつつ、今なお続く都市伝説の真相に迫ってみたい。
若い男性越冬隊員の性的エネルギーを発散させるには、どうすればいいのか。国の推進本部で検討が重ねられる中、前述の中野が「女体を模した玩具」を発案したことをキッカケに、南極1号2号をめぐる都市伝説は始まる。
その後、中野のプランは担当事務官によって、推進本部の幹部らの稟議に回された。その決済文書には幹部ら13名の職名が並び、13の決済印が押されるのに2週間を要したとした上で、中野は当時の幹部らの戸惑いぶりを、こう表現している。
〈その間、起案部局の庶務課長が、呼び出されて内容について説明を求められたことは一度もなかったし、付箋を添付されて、再審議に持ち込まれることもなかった〉
要は、なんとも面妖にして前代未聞の計画から、誰もが目をそむけたかったのである。かくして南極1号2号プランは、すんなりと了承された。
新田によれば、稟議に回された決済文書には、女体を模した玩具の正式名称として「保温洗浄式人体模型」と記されていたという。(文中敬称略。つづく)
(石森巌)