今やすっかり死語入りした感のある「雷オヤジ」。ひと昔前には「地震」「雷」「火事」と横並びするほど、怖がられていたニッポンの怒れるオヤジも、近所の悪ガキを叱ったり、まして手でも上げようなら、それこそ「虐待だ!暴行傷害だ!」と大騒ぎになることは必至。オヤジたちもそう簡単に雷を落とせなくなってしまった。
ところが、だ。1990年代、娘の交際相手を「きちんと筋を通せ!」と一喝し、その「雷オヤジ」ぶりで一躍、芸能マスコミにクローズアップされることになったのが、石田ゆり子とひかりの父、J氏だった。
時は1994年1月。石田家の次女ひかりが当時交際中だったJリーグ清水エスパルスの青嶋文明と、正月に6泊7日でハワイへ極秘婚前旅行に出かけたことが発覚。それを受け、芸能マスコミ各社が石田家に押し寄せる騒ぎになったのだが、そこで飛び出したのが、J氏のこんな発言だった。
「青嶋君は筋道を外れている。結婚については何も反対していないのに、なぜ逃げ隠れするのだ。情けない。挨拶に来るべきだ。男とはそういうものです」
そして、レギュラーの座が確保できていない青嶋に対し、「山にこもって、もっと練習せい!」と毅然とした態度でピシャリ。この発言に喝采を送ったのが、スポーツ紙や週刊誌のオヤジ記者、そしてワイドショーのオヤジ司会者並びに、コメンテーターの面々だった。
1月16日、ひかりが髪を切って記者会見し、「ごめんなさい」と謝罪するも、各社のJ氏詣ではなかなか収まる気配を見せない。筆者も幾度か、出勤前のJ氏に直撃取材を試みたが、いつも笑顔でかわされる。結局、ひかりの会見以降、J氏が芸能マスコミに向けて言葉を発することはなかった。
その後、しばらくしてひかりの破局が報じられるが、1994年5月17日、銀座セゾン劇場での初舞台「飛龍電94」の制作発表に参加した彼女は、
「どうして破局とか結婚とか、両極端になるんですか。私の知らないところでそういう話ばかり出て、とても戸惑っています」
憮然とした表情で、破局説を一蹴したのである。
それから2年半後、1997年1月20日の記者会見では、新恋人であるフジテレビプロデューサーの存在を明らかにし、青嶋については、
「ずいぶん前に別れました。お互いに話し合って決めたことです。別れた理由についてはご想像にお任せします」
しかし、こちらの恋も成就せず。結局、ひかりは2001年、現在の夫であるNHKディレクターと結婚。ようやく「雷オヤジ」のお眼鏡にかなった伴侶を見つけたのだった。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。