「ハマの番長」と呼ばれるDeNAの三浦大輔監督には、野球を辞めようとした時期がある。奈良県の高田商業高校に入学し、野球部に入部したが、その野球漬けの生活に嫌気が差したからだ。
この時、退部届を提出しただけではない。学業にも身が入らず授業もサボりがちで、3時限で早退するのは当たり前。時には1時限だけ出席してサボッたことも多く、一時は自主退学さえも考えたという。
結局、野球部の監督やチームメートに説得され、約1カ月後に野球部に復帰したが、一歩間違えればプロ野球選手になることも、ましてやDeNAの指揮を執ることもなかったのである。
三浦監督のトレードマークはリーゼントのヘアスタイルだが、これは矢沢永吉の自伝「成りあがり」を読んで感化されたのが原因だ。このリーゼントが入団以降、しばしば物議を醸した。
あのヘアスタイルはポマードで固めたものだが、セットに2時間以上もかかる。そのため、遠征の際の移動では、チームの誰よりも早く起床。ドライヤーと櫛を手に、セットに余念がなかった。
新人時代には当時の首脳陣から「髪を切れ。切らなければ罰金だ」と選択を迫られたが、断固拒否。何度も罰金支払いを選択し、リーゼントを死守した。
異常なほどのプロレス好きで、しかも悪役(ヒール)キャラに入れ込んだ。1998年1月4日に東京ドームで行われた新日本プロレスの「FINAL POWER HALL in 闘強導夢」の第8試合、蝶野正洋VS越中詩郎戦では、当時活躍していたヒールユニット「nWoジャパン」の構成員として、蝶野のセコンドに付いただけではない。2002年には「魔界倶楽部」総裁の星野勘太郎から「魔界18号」と命名されている。
当時、「プロ野球経験者でリングネームを持っているのはジャイアント馬場さん以来、史上2人目」と話題になっており、少し恥ずかしい過去かもしれない。
(阿部勝彦)