〈男はタフでなければ生きていけない、優しくなければ生きていく資格がない〉
レイモンド・チャンドラーの小説に出てくるセリフを引用し、膨大な量のCMスポットに使い、その映画は20億円以上もの配給収入を上げた。主演は高倉健、その養女役で薬師丸ひろ子がデビューした「野性の証明」(78年、角川春樹事務所)である。
脚本は「三代目襲名」(75年、東映)や「日本任侠道 激突篇」(75年、東映)で高倉と組んだ高田宏治である。当初は別の脚本家が予定されていたが、仕上がりに不満を持った角川春樹プロデューサーにより交代。
「私が書いた『や○ざ戦争日本の首領』(77年、東映)を角川さんが観て、それで指名を受けたんだ。それまで健さんの主演作は何本か書いているけど、初めてディスカッションの場を持ったのはこの映画」
監督は佐藤純彌だが、高田は1度、衝突している。偶然、殺戮現場に居合わせた自衛隊員役の高倉が、薬師丸の父親をオノで斬り殺す。そのシーンの前に、高倉がじっと待っている画がほしいと佐藤は要求。高田はこれを拒否した。
「佐藤監督は理詰めでくるけど、ここは一気に行ったほうがいいと言ったよ」
さらに高倉とも意見が分かれた。映画の後半に、高倉をつけ狙う刑事役の夏八木勲(当時は夏木勲)と、薬師丸の3人で逃亡の旅を続けるのだが──、
「健さんは夏八木抜きのほうがいいんじゃないかと言うんだ。ひろ子の記憶が戻って、憎しみの目を健さんに向けている。それは2人だけで演じたほうがいいんじゃないかと」
森村誠一の原作にはない場面だが、高田は高倉を諭す。緊迫した局面で、幼い薬師丸がしがみつくのは父ではなく、刑事のほうだ。
「そこで健さんが哀しい目をする。そのことにより、2人の愛憎が浮かび上がるから夏八木は必要なんですよと言った」
これに高倉は「いいですね」と了承。さらに自衛隊との銃撃戦に薬師丸が「お父さん」と叫びながら飛び込んでくる場面は、脚本家に一任してほしいと念を押す。薬師丸は銃弾を浴びて絶命するが、高倉も、角川も、このシナリオには二つ返事で乗ってくれたという。
結果的に高田がシナリオを書いた「健さん映画」はこれが最後となったが、実は幻のプランがあった。高倉を仁侠映画のスターに育てた俊藤浩滋が、その晩年、何度も高田にシナリオを要請してきた。
「健さんが引き受けるかどうかはともかく『もう1度、老いたヤ○ザの役をやらせるのが最後の夢だ』と。結局、実現しないままに俊藤さんは亡くなられたけど、その原作というのが偶然にも森村誠一さんの『人間の証明2 狙撃者の挽歌』だったんだよ」
引退していた元ヤ○ザが少女を助けるために修羅の世界に舞い戻る。その世界観は「野性の証明」の続編のようでもある。