メジャー史上最高額の10年7億ドル(入団合意時のレートで約1015億円)でドジャース入りした大谷翔平(29)の傍らには、いつも「イッペイ」がいた。最高の通訳の生い立ちから現在まで、そして誰からも「愛される理由」に迫る!
〈ミズハラはオオタニの横での彼の仕事のうち、「通訳はわずか10%に過ぎない」と話した〉
これは昨年、米老舗メディア「スポーティングニュース」が報じた記事「エンゼルスの日本人スターの通訳イッペイ・ミズハラについて知るべきこと」に掲載された一文だ。一介の通訳である水原一平氏(39)がメディアで特集されること自体が異例中の異例だが、働きぶりを見ればそれも納得のひと言だろう。
「本業はもとより、大谷のメンタルケアや球場までの送り迎えも担当し、群がるクライアントにはマネージャーとして対応。オールスターの本塁打競争で捕手を務め、WBC日本代表ではスタッフの一員としてラーズ・ヌートバー(26)の出場交渉まで請け負っています。ド軍移籍の直前、何も語らない大谷の代わりにパパラッチに追いかけ回された時は、本人もさすがに閉口していたようですが(笑)」(在米ジャーナリスト)
先頃のFA移籍も、契約金の多寡より水原氏の雇用が絶対条件だったという。昨季にころころ代わったエンゼルスの捕手陣に勝る女房役で、まさに「夫唱婦随」の献身に大谷も惚れこんでいるのだ。
そんな水原氏は84年に北海道苫小牧市で生まれ、父親がロサンゼルスで板前をやるために6歳で移住。大学卒業後、父の知り合いの日本料理店で、アルバイトとして働き始めた。
「その後はカジノのディーラー養成学校に通ったり、日本酒メーカーに就職したりと紆余曲折します。転機は09年、第2回WBC決勝の韓国戦を、ドジャースタジアムで観戦した時です。イチロー(50)の決勝打に感動し、野球関係の仕事を探し始めたのだとか」(在米ジャーナリスト)
その機会は程なく訪れ、11年オフ、ヤンキースに移籍する岡島秀樹(48)の通訳として雇われることに。しかし、メディカルチェックで故障が発覚し、入団はご破算。水原氏も失職するハメになってしまった。
「それでも腐ることなく、岡島がソフトバンクに入団が決まるまで、未経験ながら親身にトレーニングに付き合ったといいます。その後、日本ハムの通訳募集に応募して採用、くしくも大谷とは同期入団になりました」(スポーツ紙デスク)
まさかその後、2人がメジャー球界の最強バディになろうとは‥‥。