1月1日の能登半島地震で震度7の揺れを観測した、石川県志賀町にある親戚の家を訪れていた5歳の男の子が命を落とした。地震で石油ストーブの上に乗せていたやかんが落ち、やかん内の熱湯がかかって熱傷を負ったが入院治療することがかなわず、4日に容態が急変したという。
1月9日付のNHKによる母親へのインタビューは、涙なくして視聴できなかった。その内容を要約すると、以下のようになる。
地震直後は消防が混乱しており、救急搬送ができなかった。次に自家用車での病院受診を試みたが、路面が破損しており断念。改めて救急車を呼んで、ようやく地元の病院に搬送された。お尻と足のあたりに熱傷を負っているものの、診察した医師からは「熱傷は軽傷でもなく、重傷でもない」と言われ、子供が痛みを訴えるため入院したいと希望しても断られた。
母親はその後に駆けつけた家族と病院ロビーのソファーで一夜を明かしたが、その際の心境を「家も被災して帰れる状況ではないのに、どうすればいいのだろうと感じました」と語っている。
親戚の家に戻った男の子は、3日に容体が急変。41度の高熱とめまい、ひどい吐き気の症状が出て別の病院を受診したものの、ここでも入院加療できず、4日に再度、地元病院での診察を待つ間に呼吸が止まり、集中治療室での治療の甲斐なく、死亡が確認されたという。どんなに痛くて辛かったことだろう。
だが、被災地の医療機関と医師は責められない。5歳児が受診した病院とは別の、石川県内の医療機関に勤務する女性医師によると、能登地方はもちろん金沢市内でもいまだ医療現場は混乱を極めているという。
「停電、断水が続き、地震直後は非常電源でしのぎました。さらに家族や親族、友人が亡くなったスタッフもいます。当直だった本人以外の家族全員が家屋の下敷きになり、亡くなったご家庭もあります」
被災者の治療にあたる医療従事者も被災者であり、遺族なのだ。この女性医師が続けて声を絞り出す。
「家族や友人を失い、さらに目の前で運び込まれた負傷者が亡くなっていく。みんな涙を流しながら仕事をしています。自宅も倒壊、あるいは家具が倒れていて帰れない。この1週間、ゆっくり横になって眠ることもできません。疲労もメンタルも限界に達しており、医療スタッフの誰がいつ過労死、突然死を起こしてもおかしくない状況です」
被災地の医師には京都や名古屋、大阪の大学病院への救援要請を思いつく余裕はなかっただろうが、消防の通信設備は使えたのだからドクターヘリに引き継ぎ、子供を被災地から離れた京都や大阪、名古屋の病院に搬送することはできなかったのだろうか。
特に2019年、「京都アニメーション」のスタジオを放火し、社員36人が死亡、32人に重軽傷を負わせた青葉真司被告を治療した近畿大学の理事長は、自民党安倍派の裏金問題の渦中にある世耕弘成・前参院幹事長だ。混乱する被災地に議員が押しかけても足を引っ張るだけだが、世耕理事長は近大病院の医師たちに、そして武見敬三厚労相は全国の特定機能病院に、被災地の重症患者をヘリ搬送するよう、指示も出していなかったとしたら…。自民党の議員は政治資金を集める以外、何のため、誰のために議員をしているのだろう。
最後に、火傷をした場合の応急処置法を。熱湯をかぶった時は119番通報しながら、救急車が到着するまで最低5分以上、できれば30分間、流水で患部を冷やし続ける。皮膚の奥まで熱傷が広がらないよう、とにかく冷やすことが大事だ。断水している場合は、緊急避難として浴槽の残り湯や大量の氷の活用を。
十分に冷やしきった後に、清潔なタオルで幹部を軽く覆って保護してほしい。
(那須優子/医療ジャーナリスト)