元日の能登地方を襲ったマグニチュード7.6の大地震。建物の倒壊による圧死者をはじめとする死者数が222人(1月16日現在)に達していることに加え、揺れの強かった奥能登地域では今なお、建物の被害状況の全貌が明らかになっていない。
そんな中、衝撃の事実が浮上してきた。今回の地震で、1981年に施行された「新耐震基準」を満たす木造家屋の「半数が全壊」していたというのだ。
事実、金沢大学の村田晶助教(地震防災工学)の現地調査によれば、珠洲市正院町の木造家屋約100棟のうち、約40棟が居住不能な全壊状態に見舞われ、そのうち半数に上る建物が、1981年の新耐震基準導入後に新築あるいは改築(耐震改修)されたものであることが明らかになっている。
なぜ、安全であるはずの建物が全壊したのか。地震工学の専門家が明かす。
「多くの専門家は『ここ3年余り続いた群発地震で損傷が生じ、建物の強度が低下していた可能性がある』などと解説しています。確かに群発地震の影響はあったでしょうが、私は『それだけではない』と考えます。木造家屋の場合、新耐震基準を満たしていても今回の地震には耐えられなかった、という可能性が存在するのです」
木造家屋の耐震基準をめぐっては、1995年の阪神淡路大震災を受け、2000年に基準の見直しと強化が図られている。地震工学の専門家が続ける。
「実は2000年基準を満たしていた木造家屋については、珠洲市正院町でも被害はほとんど認められませんでした。今回の地震では木造家屋をなぎ倒す周期1~2秒の地震波が検出されており、1981年施行の新耐震基準を満たす木造家屋は、地震波に耐えられない脆弱性を持っていたと考えられるのです。少なくとも木造家屋については、2000年基準を満たす建物でなければ倒壊による圧死は防げない、と警告しておく必要があるでしょう」
木造家屋の場合、大地震から命を守るには、1981年の新耐震基準を満たすだけでは不十分であり、2000年基準に基づく耐震補強が不可欠になるということだ。
(石森巌)