憲法で信教の自由が保障されているわが国では老若男女、誰がどのような宗教を信仰しようと、むろん自由である。ただ、人気商売である芸能人の場合、それをことさら表に出すことはない。特にイメージを重視するCMに出演している場合は、なおのことだ。
ところが抗議デモの先頭に立ち、激しくシュプレヒコールを上げ、芸能マスコミから「絶叫闘女」と呼ばれた女優がいる。それが1991年に結成された「講談社フライデー全国被害者の会」(以下「被害者の会」)副会長として連日、世間を賑わせた小川知子である。
事件の概要についてはネットニュース等を検索していただくとして、彼女が「被害者の会」副会長として最初の抗議デモを行ったのは、1991年9月8日。筆者もデモに同行取材したのだが、まずは東京・御徒町公園での決起集会からスタート。黒のパンツに赤いレインコート姿の小川が叫んだ。
「(直前まで降っていた雨が止んだのは)天も私たちに微笑んでいます。幸福の科学を潰す目的だけでフライデーを存続させている講談社は許せません。真に一個の人間として、私は正義のために立ち上がります」
すると2000人を超える信者から、大きな歓声が起こった。そして神田から渋谷を回り、約1時間も絶叫し続けるのは信仰心がなせる業なのだろうが、その圧倒的エネルギーに驚愕したものである。
小川は9月15日に行われた、横浜アリーナでの講演にも出席。1万人の信者らを前に、
「この闘いは世の中を浄化する第一歩なのです。私は命を懸けてでも闘います」
そう演説すると、その後に行われた記者会見場でも、講演さながらにボルテージは上がる一方で、
「大川(隆法)先生は親と同じか、それ以上の魂の師。宗教に命を懸けるのは常識です。抗議行動を見て、あれが小川知子かという人がいるかもしれないが、私はそんなナヨナヨした女ではない!」
まさに大川総裁が憑依したのではないかとも思えるその強い口調に、詰めかけた報道陣は目を白黒させたのだった。
とはいえ、その強烈なインパクトのせいか、出演中だった製薬会社のCMが突然、放送中止になる騒動が勃発。製薬会社、所属事務所ともに、その理由を「契約が切れただけ」と説明したが…。
その後、「幸福の科学VS講談社」の闘いは複数の訴訟が提起されたことで、2002年まで続くこととなるのだが、当時、写真週刊誌で長年仕事をしてきたベテランのカメラマンがひと言。
「小川についてマスコミは『女優から幸福の科学の顔に転身した』なんて書いてるけど、目の覚めるような色彩のジャケットスーツで、首に筋を立てて『フライデー廃刊!』と叫ぶ彼女の姿は、まさに女優だよ。そう、文字通り『絶叫闘女』の主演女優。被写体としては最高だったなぁ」
なるほど見方も色々。だからこそ、エンタメは奥が深いのである。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。