月刊誌に掲載された「最期の手記」を、長年交流のあった高僧の言葉で締めくくった高倉健。知人の親族の命日にも何年も供物を贈るなど、死後、にわかに明るみに出てきたのが、その精神世界への強い傾倒だ。取材を進めると、神仏を問わない「厚い信仰心」証言が次々と聞こえてきて‥‥。健さんの神のような人格を形成した「ルーツ」を探った。
〈「往く道は精進にして、忍びて終わり、悔いなし」
阿闍梨さんが浮かべる満面の笑みとともに、僕に一つの道を示し続けてくださっている〉
これは、高倉健(享年83)が亡くなる4日前の11月6日に書き上げ、月刊誌「文藝春秋」に寄せられた手記の最後の一節だ。はからずも「最期の手記」となったことで話題を呼び、新聞でも異例の扱いで報じられたのだが、冒頭の「阿闍梨さん」とは、天台宗大阿闍梨で、2013年に心不全で死去した故・酒井雄哉氏(享年87)。
手記には、高倉の映画人生の他に人生哲学も記されているが、冒頭から、
〈諸行無常。〉
と、仏教用語を用い、酒井氏との“魂の交流”について多くの紙幅を割いている。そして迷いが生じた時に酒井氏に贈られたことを手記で記している「往く道は──」の言葉で最後を締めくくったのだ。
ベテラン芸能記者が、高倉と酒井氏の関係について解説する。
「ちょうど江利チエミとの離婚問題や大量の映画に出演し続け、肉体的にも精神的にも限界だった1971年頃、東京12チャンネル(現・テレビ東京)から高倉さんの生き方を紹介するドキュメンタリー番組出演の依頼があった。手記では『魔が差した』と記していますが、断り続けていたテレビ出演を承諾し、その代わりに、滝行を希望。それで大阿闍梨と出会ったんです。江利との離婚が発表されたあとも高倉さんは月1ペースで天台宗の総本山がある比叡山に足を運び、数日間の荒行をみずからに課していたんです」
82年2月、江利が45歳で急逝した際も、高倉は付き人を連れ添い比叡山を訪れ、極寒の中、滝に打たれながら「不動明王真言」を唱えたという。
一方、手記の中では、酒井氏と山で修行中に現れた、2匹のうなり声を上げた野良犬がいつの間にか酒井氏を先導するようになったことや、酒井氏が香をたき、経を唱えると、煙が微動だにせずまっすぐ立ち上ったことも記されている。
こうした「神秘体験」を高倉自身が明かすのも異例だが、実際、死後大量に報じられた著名人の「健さんの思い出」の中にも「精神世界」「信仰心」を連想させるエピソードが目立つ。
「映画で共演したガッツ石松さんは自分の父親が亡くなった時、教えてないはずの住所に線香が三回忌まで毎年送られたうえに、本人も忘れていた二十三回忌にも自宅に供物が届いたと明かしています。他にも健さんに突然、家紋入りの品物を送られたという知人の証言も複数あり、中には家紋を勝手に調べられた、という証言まであります」(スポーツ紙芸能担当デスク)
そこで関係者たちに取材すると、仏教に限らず、さまざまな「宗教」への傾倒を示す証言が聞こえてくるのだ──。