「ま、あのテンションなら、もって2年。早ければ1年以内に離婚するな。間違いないよ」
これは2010年7月16日、玉置浩二と青田典子が婚姻届を提出した際、知人のスポーツ紙記者が言い放った言葉だ。ところが、それから14年あまり。3月9日に放送されたNHK BSの「玉置浩二ショー」では、ゲストの大泉洋、森山直太朗とともに、青田もコーラスとして参加。当時と変わらぬ仲睦まじさに、改めて男女の相性というものの不思議さを痛感したのである。
というのも、そのスポーツ紙記者が言うように、当時の玉置のテンションというか、暴走ぶりは、半端ではなかったからだ。
当時、玉置は51歳でバツ3。一方の青田は42歳で、こちらもバツイチ。もともと親密な関係にあった2人が六本木のクラブで再会したのは、20年を経た2009年だった。その後、交際が報じられたのだが、2009年5月23日、香港で行われる「安全地帯」のアジアツアー発表会見に出席するため成田空港に姿を現した玉置の傍らには、なんと青田の姿が。詰めかけた報道陣に対して玉置は「結婚の予定は?」と聞かれて、
「結果的に結婚するんじゃないの。誘惑してくる女はいるかもしれないけど、絶対別れないよ」
そう言うと青田を抱き寄せ、ハネムーンカップルさながらにゲートへと消えていったのである。翌日の新聞、テレビはこぞって「結婚間近」と大々的に報じたのだった。
この暴走発言から2日後の5月25日、2人は別々に帰国。しかも出国時、あれだけ饒舌だった玉置が突如として前言を翻す。
「青田は青田。俺、関係ないもん。俺は安全地帯の仕事で行ったの。青田に聞けよ! 愛の営み? なんだ、それ」
それはそれは不機嫌なこと。関係者によれば、香港で2人が大喧嘩したらしく、冒頭の記者同様、大方の芸能記者が「破局は時間の問題だろう」とみていたようだ。
ところが、だ。そんな予想をヨソに、2人は玉置の実家がある北海道・旭川市で電撃入籍。翌日、2人は帰京したが、玉置は羽田空港での囲み取材で、
「今の心境? そうだね、『♪泣かないで一人で…あなたのそばにいるから~』だね」 と超ゴキゲン。夜の生活についての質問も飛んだが、2人は見つめ合って、
「いつものように…ね~」
ただ、ニタニタするのみだ。とはいえ、玉置は事実婚を含めると、これで5回目。筆者を含め、集まった芸能記者にとって「思いつき婚」感は否めなかった。
しかし、玉置は「死ぬまで一緒です」という言葉を今も貫き通している。くっついた離れたが日常茶飯の芸能界。5回目の結婚に「俺たちの愛は太陽にも負けない!」と豪語した玉置。やはり男女の仲というのは、他人には計り知れないものなのである。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。