全日本プロレスが他団体との開国路線に舵を切った1997年、新日本プロレスは新段階に突入する。
6万2500人の大観衆を集めた1.4東京ドームでは、VSインディー団体ということで大日本プロレスとの対抗戦を敢行。後藤達俊がケンドー・ナガサキに敗れてしまったが、マサ斎藤がグレート小鹿、蝶野正洋が中牧昭二、大谷晋二郎が田尻義博(現TAJIRI)に勝って圧勝。天龍源一郎率いるWAR、髙田延彦率いるUWFインターナショナルとの戦いで業界ナンバー1をアピールしてきた、他団体との対抗戦路線に一区切りをつけた。
「俺にとって〝メジャーとインディーは、こういう違いなんだよ〟っていうのが1つのテーマだった。インディーの選手たちは辛かったと思うし、悔しい思いもしたと思うけど、やっぱり違いはあるんですよ。その違いがないと成り立たないんですよ。〝お前たちと俺たちと、どうやって動かしてプロレスを盛り上げていくか?〟っていうことを考えたら、確かに違いがあるんだから、その違いを突っつくしかなかった」と、新日本の現場監督だった長州力は言う。
そして創立25周年を迎えた春から、新日本の路線はガラリと変わる。オーナーのアントニオ猪木が現場に介入してきたのだ。
3月7日、全日空ホテルにおいて発表されたのは、柔道世界選手権無差別級で3度金メダル、92年バルセロナ五輪95キロ超級銀メダルに輝いた小川直也のプロ格闘家への転向だ。
小川は明治大学柔道部出身で、新日本プロレスの坂口征二社長の後輩にあたるということで新日本入りが噂されていたが、猪木は小川を新日本には入れさせずにプロ格闘家に転身させ、初代タイガーマスクの佐山聡とともに全面バックアップ。4月12日の東京ドームで、橋本真也への刺客として差し向けたのである。
当時の格闘技界はアメリカで「何でもあり」の総合格闘技大会UFCが生まれて、グレイシー柔術のヒクソン&ホイス・グレイシーが世界最強の男として注目され、日本では立ち技格闘技イベントのK‒1が人気を博して96年にはフジテレビの全国ネットに乗り、ゴールデンタイムに進出。猪木はそうした新しい波に危機感を感じ、他の格闘技を黙殺する新日本の体制に不満を抱いていたのだ。
橋本のセコンドには長州力、佐々木健介が付き、小川のセコンドには猪木が付いた。この試合は90年代の黄金時代を築いた長州・新日本と、昭和の黄金時代を築いた猪木・新日本の戦いでもあった。
明暗を分けたのは「プロレスラーとして、いい試合を作り上げていこう」という橋本と、勝つことがすべての小川の意識の差。小川が死に物狂いでスリーパーを仕掛けてプロ転向デビュー戦を勝利で飾った。
新日本の強さの象徴であり、IWGPヘビー級王者の橋本が敗れたことは、新日本にとっては大きな屈辱だったが、超満員6万5000人が詰めかけた柔道王・小川のプロ格闘家鮮烈デビューは世間でも大きな注目を集め、その後の5.3大阪ドーム、8.10ナゴヤドーム、11.2福岡ドームの日本縦断ドームツアーの起爆剤になった。
プロレスこけら落としとなった5月3日の大阪ドームは橋本VS小川の再戦。しかも橋本のIWGPヘビー級王座が賭けられるとあって、超満員5万3000人を動員。興行収益は6億円超となり、報道陣も30社150人に及ぶスーパーイベントとなった。
猪木を尊敬する橋本はそれまで背中に「闘魂伝承」の文字が入ったガウンを着ていたが、猪木との決別を宣言するかのようにノーガウンでリングに上がると非情なファイトに徹し、小川の顔面にキックをぶち込んで壮絶なTKO勝利。新日本の威厳を守った。
グレート・ムタVS小川の異次元対決が実現した、8.10ナゴヤドームは4万3500人を動員。
ムタは特別レフェリーの猪木に緑の毒霧を噴射して試合前に排除すると、異種格闘技戦ながらもキャラクターを貫いて小川を魔界に引きずり込み、最後は左手の人差し指と中指を折り曲げながらの腕ひしぎ十字固めで勝利して、プロレスラーの懐の深さを見せた。
ドームツアーのラストとなった11.2福岡ドームは、6月に「98年1.4東京ドームでの引退」を発表した長州が愛弟子・佐々木健介と対戦する引退記念試合がメインに据えられたものの、橋本はK‒1出場経験のあるドイツ人キックボクサーのフーベルト・ヌムリッヒ、小川もオランダのキックボクサーのエルウィン・フレークルに異種格闘技戦で勝利。格闘技色の強いイベントで、4万8000人を動員。
10月11日には東京ドームで総合格闘技イベント「PRIDE」が開催され、髙田がヒクソン・グレイシーにわずか4分47秒で敗れるなど、迫りくる格闘技ブームの中で、猪木が投じた小川直也という劇薬によって新日本はドームツアーを大成功させることができた。
小佐野景浩(おさの・かげひろ)元「週刊ゴング編集長」として数多くの団体・選手を取材・執筆。テレビなどコメンテーターとしても活躍。著書に「プロレス秘史」(徳間書店)がある。