プロレスの世界において、対戦相手のとエキサイティングな口ゲンカは、試合を盛り上げるために欠かせないものだ。そのため「猪木問答」はじめ、伝説的なバトルは少なくないが、ファンの多くが「これは間違いなく殿堂入り」と認めているのが、長州力と橋本真也との凄まじいまでの「コラコラ問答」だろう。
時は2003年11月18日。新日本プロレスを退団し、ZERO-ONEを立ち上げた橋本による記者会見の最中、同じく新日本退団後、WJプロレスを立ち上げた長州力が乱入。
「なにがやりたいんだ、コラ!」
「なにがコラじゃ、コラ!」
「なんだコラ!」
「なにコラ! タココラ!」
そんな具合に、お互いを合計20回(長州14回、橋本6回)も「コラ」で罵る場面が繰り広げられたのである。
コトの発端は専門誌に掲載された、橋本の「長州力は死んだ」発言にあった。その後、橋本は「東京スポーツ」の記事で、WJプロレスの経営悪化を批判。ブチギレた長州が、会見場に乗り込んできたというわけである。
プロレスファンならば、2人が犬猿の仲だということを知らぬはずはないだろうが、実はその遺恨は若手時代にまで遡る。
1987年6月3日、デビュー3年目の橋本が北九州大会で、長州軍のヒロ斎藤と対戦。その際、あまりにエキサイトした橋本が、斎藤の左手甲を複雑骨折させるアクシデントが発生した。
これに怒り狂った長州とマサ斎藤が試合後、控室で橋本を椅子で殴るなどの「制裁」を加えたという。ウソかマコトか、その後、橋本は長州をナイフで刺すシミュレーションをしていたというから、恐ろしい。
そんな2人による因縁の初対決が実現したのが、1989年4月の東京ドーム。橋本は長州をエビ固めで破り、金星を飾った。
だが1989年12月に両国国技館で開催された「ワールドカップ争奪リーグ戦」決勝戦では、長州が橋本をラリアットで一閃。ドラゴンスリーパーから覆いかぶさって3カウントを奪い、優勝する。その後も両者による因縁対決は続いた。
「コラコラ問答」後には、その流れとして長州VS橋本戦が2004年2月29日、両国国技館において、8500人の大観衆の中で行われた。試合結果は橋本が11分8秒、ミドルキックから片エビ固めで長州を破り、勝利したのだが、スポーツ紙記者はこう語る。
「2人がリングに上がったのは、2001年1月4日の東京ドーム、シングルマッチ以来、約3年ぶりでした。しかも前回の東京ドーム戦では、このままやらせたら危険、と判断した藤波辰爾により試合が止められるという幕切れだっただけに、両者にとっては、まさに遺恨対決でした。ただ、犬猿の仲とは言われていたものの、お互いレスラーとしてリスペクトしていたことは間違いない。だからこそ、橋本の早すぎる死は、長州にとって大きな衝撃だったことでしょう」
2人の間には当人にしかわからない特別な思いがあった…それは間違いないだろう。
(山川敦司)