今も復帰を願う声が絶えない「初代バス旅」の名コンビ、太川陽介と蛭子能収。何度も旅を重ねる中で、いくつもの名場面を生み出してきた。そんな2人がなぜ抜擢されたのか。太川が自身のYouTubeチャンネル「ルイルイチャンネル」の中で明らかにした。
配信動画は、太川の人生を振り返るというものだった。歌手デビューから俳優への転身、そして低迷期と、山あり谷ありの芸能生活を赤裸々に語った。
48歳になった時、懸命に舞台をやって芝居の腕を磨き、テレビドラマに戻ろうと決意した太川だったが、ドラマではなく「バス旅」で復帰した。自身が起用された理由を太川は、
「バス旅を始めようってなった時、(番組スタッフが)『太川さんなら、過酷でも楽しくやってくれるんじゃないか』ということで、僕の名前が出たらしい」
まず太川の起用が決まると、相棒を誰にするのか議論が重ねられる中で蛭子の名前が挙がり、番組がスタートした。なぜ蛭子だっのかについて、太川は言った。
「それはわからない。なんでだろうね」
いざバス旅が始まると、太川は蛭子のことをこう思っていたと言う。
「蛭子さんのことを、僕はそんなに知らないから。蛭子さんも僕のことを知らない。僕がちょうどアイドルで歌っていた頃、あの人は3畳ひと間のアパートでテレビもない生活をしていたから、僕が売れていた時期を知らない。会ってみたらまぁ、ひどいヤツだった。なんだよこの人は、っていう」
そんな2人はやがて、名コンビと呼ばれるように。太川は今や、あのちゃんに「バスの悪魔」とコキ下ろされる存在になったが、蛭子を選んだのは「バスの神様」だったのかもしれない。
(鈴木誠)