俳優の中尾彬が5月16日に亡くなっていたことがわかった。死因は心不全、81歳だった。映画やドラマでは悪役から二枚目までこなし、低音の渋い声で直言することからバラエティー番組でも重宝された。稀有な男の晩年とは‥‥。
「心臓も弱く、ここ数カ月は体調が優れずに、自宅で闘病を続けていました。体重もかなり減っていましたが、12月の旅行を楽しみにして、リハビリに励んでいた矢先のことで‥‥」
芸能関係者は中尾の死に直面してこう声を詰まらせる。それほど存在感があったということだろう。
中尾は1942年8月11日、千葉県木更津市に生まれた。61年に武蔵野美術大学の油絵学科入学後、日活の第5期ニューフェイスに合格するが、絵画への夢を諦めきれず、翌年に大学を中退してパリへ留学。帰国後、劇団「民藝」に入団し、64年の映画「月曜日のユカ」(日活)で加賀まりこ(80)の恋人役として出演。一躍、注目を集めた。
20代の中尾は俳優仲間と「野獣会」を結成し、夜な夜な繁華街へ繰り出していたという。昨年10月、週刊アサヒ芸能連載にて中尾は当時を振り返り、「あふれる情熱をどこにぶつければいいかもわからず、ただギラギラとしていた」と話している。
その後、アクの強い個性的な役回りで定評を得たのも、こうした若い時分の情熱があってのことだろう。そして、数々の映画に出演し、最近でもネットフリックスの配信ドラマ「サンクチュアリ―聖域―」(23年)で存在感を発揮していた。また、トレードマークの「ねじねじスカーフ」姿で、近年はバラエティー番組や情報番組のコメンテーターとしても活躍。中尾は生涯現役を貫いたのだ。
一方、私生活では46年間連れ添った妻の池波志乃(69)との〝おしどり夫婦〟で知られ、2人は10年前から「終活」にも着手し始めていた。千葉のアトリエや沖縄の別荘を売り、都内の自宅にあった美術品などを大がかりに断捨離した。
しかし、断捨離でモノは消えても、夫婦の絆は消えず、2人が行きつけにしている飲食店店主によると、
「食通として有名な中尾さんですが、老舗だけでなくB級グルメまで、全国の名店を知り尽くしていると言ってもいいほど、おいしいものをよくご存じでした。志乃さんが仕事の時は中尾さんが薄暮の頃に1人で店にいらして、その日のおすすめの肴に合わせて日本酒や焼酎を選んでいました。粋で、紳士的、そしてタフで優しい方でした。料理と会話を楽しむ素敵なご夫婦でしたね」
池波の料理の腕前もプロ顔負けの折り紙つき。終活で様々な調理器具や食器を処分したものの、コロナで家にいることが増えると、再び夫婦で新しいものを選んでは食事を楽しんでいた。
そんな池波は気丈にも「あまりに急で変わらない顔で逝ってしまったので、まだ志乃〜と呼ばれそうな気がします」と明かし、「叶いますならば、中尾彬らしいね〜と笑って送ってあげてくだされば幸いです」とコメントを発表した。
中尾は生前、東京・谷中の寺院に、自分でデザインした墓を建立している。墓石には、中尾の哲学だった「死んだ人は『無』になる」の「無」の文字が刻まれている‥‥。