日本を代表する写真家の篠山紀信氏が今年1月、老衰のため83歳でその生涯を閉じた。女性を被写体にした多数の写真を撮影し、樋口可南子や宮沢りえの衝撃的な写真集でブームを巻き起こしたことは、今さら説明するまでもないだろう。
写真家が写真を撮る上でも最も大切なこと、それが被写体である人物との信頼関係だ。ところが、その信頼関係を揺るがす事件が勃発した。1986年9月の「山口百恵の上半身全開写真」流出騒動だった。
問題の写真が掲載されたのは、写真週刊誌「FOCUS」。写真はこの8年前に発売したLP「二十才の記念碑 曼殊沙華」のジャケット用として撮影されたものだった。それがあろうことか、両人に無断で掲載されてしまったのである。
9月29日に怒りの緊急記者会見を開いた篠山氏は、流出した写真は約150カット撮影したうちの2枚であるとして、
「あれは正真正銘、私が撮った写真です。保管してあるネガと照合したところ、2枚のうち1枚が確認できました。ネガは銀行で厳重に保管しているので、デュープ(複製)されたとすれば、現像所から私の手元に届くまでに、何者かがやったのだろうと。犯人を特定できれば告訴します」
むろん、発売元の新潮社に対しても、
「写真を撮った私には著作権があり、百恵さんには肖像権がある。それを全く無視して公開されたことに対し、怒りを感じます」
厳重抗議したことを明かした上で、次のように撮影の経緯を説明したのである。一糸まとわぬものを撮る意識は両者にはなかったとして、
「上半身裸で撮ったものがあり、たまたま何点か『トップが写った』ものがあった」
撮影当時、百恵さんは20歳。むろん、ジャケットにこの写真が使われることはなかったが、会見の3日前に百恵と連絡を取ったという篠山氏は、彼女の言葉を代弁。
「20歳の記念に納得してやった仕事ですから、今さらあれは自分ではない、山口百恵ではない、なんて言うつもりはもうとうありません。ただ、この写真がこういう形で世の中に出たということについて、本当に信じられない気持ちです」
「大変申し訳ない」と謝罪する篠山氏に対し、百恵は「篠山さんの権利をはっきりと主張して下さい」と答えたという。
篠山氏がフィルムを現像したA社を相手に訴訟を起こしたのは、騒動から約1カ月が経過した10月25日。この写真家と被写体の間に起きた、「性善説」を揺るがす事件は、ついに法廷へと持ち込まれることになったのである。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。