振り返れば1985年のドラフト会議で、巨人は清原和博を1位指名するはずだった。しかし、フタを開けてみれば、同じくPL学園で「KKコンビ」と呼ばれた桑田真澄(現・巨人2軍監督)の名前がコールされたのだ。西武に指名された清原は「巨人の裏切り」に、記者会見で涙を流す。「KKドラフト事件」と呼ばれる悲劇は、なぜ起きてしまったのか。
この舞台裏を「新事実」として明かしたのは、巨人時代の1974年に最優秀防御率を獲得し、引退後は巨人の2軍投手コーチを務めた関本四十四氏だ。関本氏が巨人の投手コーチに就任したのは1986年。桑田入団と同年である。
野球解説者・江本孟紀氏のYouTubeチャンネル〈江本孟紀チャンネル「エモやんの、人生ふらーりツマミグイ」〉に出演した関本氏は、桑田本人から聞いた話だとして、次のように振り返った。
「甲子園であんまりカーブを投げると評価が低くなるから、投げなかったんです。ところが鳥取国体の時に、カーブで三振をバタバタと取った。『どうしたんだ、こんなにいいカーブ投げて』ってなって、それを(当時、巨人のスカウト部長だった)伊藤菊雄さんから聞いてたもんだから。そこで(桑田指名に)シフトを変えたんだって。変えたってことは、清原には伝えていなかったんだろうけどね」
PL学園時代の桑田は甲子園に5回全て出場し、4度も決勝進出。1年夏と3年夏の2回、優勝している。通算奪三振150個は今も破られていない記録であり、カーブを多投せずに甲子園の雄となったことは、驚きである。
(所ひで/ユーチューブライター)