甲子園を沸かせたPL学園の「KKコンビ」清原和博氏と桑田真澄氏にとって、1985年のドラフト会議は大きく明暗を分けることになった。清原氏の意中の球団だった巨人は、早稲田大学行きを表明していた桑田氏をまさかの1位指名。清原氏は阪神、南海、日本ハム、中日、近鉄、西武の6球団から1位指名を受け、抽選の結果、西武が交渉権を得た。
野球解説者・槙原寛己氏のYouTubeチャンネル〈ミスターパーフェクト槙原〉に登場した清原氏が、当時を振り返ってホンネを明かしたやりとりは、以下のようなものだった。
「寂しかったですね。友達ならひとこと言ってほしかったなって…」
「桑田は知ってたの?」
「…と思いますよ。これ、爆弾発言ですけど」
「真澄は知ってたのかね。答え合わせしたかったよね、ここに真澄、来てもらって。実はどうだったのか…」
ともあれ、清原氏は実に冷静に、ドラフトで巨人入りした場合、自身のポジションはあったのか、と懐疑的に分析している。そして、
「まず試合に出られてなかったですよね、中畑(清)さんがファーストにおられたんで。駒田(徳広)さんも…。(自身が守る)ポジションがなかったですよ」
清原氏はルーキーイヤーから123安打、31本塁打、打率3割4厘。新人王を獲得するその活躍は、巨人では見ることができなかったかもしれない。
(所ひで/ユーチューブライター)