メンバーそれぞれのカラーが決まっていて、バク転等のアクロバティックな動きが特徴的な女性ダンス・パフォーマンス&ボーカルユニットといえば、「ももいろクローバーZ」をイメージする人は多いだろう。その元祖と言えるのが、1986年9月に「40億円デビュー」という派手な触れ込みで登場したセイントフォーだった。
メンバーは岩間沙織、浜田範子、鈴木幸恵、板谷祐三子の4人。いずれも映画「ザ・オーディション」主演の一般募集によって3万人の中から選ばれた少女で、「日芸プロジェクト」という芸能事務所に所属した。十数社のレコード会社による争奪戦の末、橋幸夫が副社長を務めるレコード会社「リバスター音産」が契約にこぎつけている。
デビュー後、1年ほどの間にLPとシングル合わせて9枚をリリースするなど、その活動は誰の目にも順風満帆に映っていた。
ところがその裏側では、彼女たちが知らない「大人の事情」による、泥沼のスキャンダルが勃発していたのである。古参の芸能記者が解説する。
「彼女たちはポッと出のアイドルとの差別化を図るため、デビューまでに2年を費やして歌唱からアクロバット、ジャズダンス、ローラースケートに至るまで、徹底的にレッスン。その甲斐あって、デビュー後には独自のパフォーマンスがウケて着実にファンを増やしました。レコードの売り上げは15万枚から20万枚に迫る勢いでした」
ところが1年後の1985年10月を最後に、リリースがストップ。その理由が「日芸プロジェクト」と「リバスター音産」との間で起こった、金銭をめぐるトラブルだった。古参の芸能記者が続けて言う。
「所属事務所側はレコード印税が全く支払われなかったとして、橋を背任横領で告訴し、さらには橋がセイントフォーの引き抜き工作を画策していたと主張した。一方の橋サイドは未払いとされた印税はレコード制作費と相殺済みであり、引き抜きは事実無根で名誉を傷つけられたと怒り心頭。全面対決は避けられない状況でした」
翌1986年10月2日、都内で記者会見を開いた所属事務所の後藤文雄代表は言った。
「話し合いでダメなら、もう法律しかない。橋さん側が『訴訟でもなんでもやってくれ』という返事なので9月30日に、提訴に踏み切りました」
「リバスター音産」に対し、約3億8800万円の損害賠償を求めて東京地裁に提訴したと明らかにしたのだ。もろんそんな状況下では4人の音楽活動を継続できるはずもなく、翌1987年1月18日、セイントフォーは東京・御茶の水の日仏会館でのコンサートを最後に、解散することになった。
「大人のトラブルには疲れました。中途半端な状態ではかえって申し訳ないと思って、4人で話し合って決断しました」
涙ながらにそう語る、リーダーの岩間。鳴り物入りでのデビューからわずか2年5カ月で打たれた終止符に、会場に詰め掛けた500人のファンからは惜しみない拍手が送られていた。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。