2024年5月3日、東京ドームでの巨人対阪神7回戦。5回裏が終わると、大観衆から歓声が起こった。
巨人・長嶋茂雄終身名誉監督が「4番、サード長嶋、背番号3」のアナウンスとともに車いすに乗って登場した。沸き起こった声援に左手を振って応えた。
この試合は、巨人軍の創設90周年を記念した特別試合「長嶋茂雄デー」として開催された。 日本球界のみならず、日本のスポーツ界をけん引してきた。ファンはその功績に惜しみない拍手を送った。
長嶋は36年2月20日、千葉県佐倉市で父・利、母・チヨの間に、4人兄弟の末っ子として生まれた。
2年前の34年12月26日、日本初のプロ球団「大日本東京野球倶楽部」(現在の読売巨人軍)が誕生し、36年2月5日には計7チームで「日本職業野球連盟」が結成された。
長嶋は今年、88歳の米寿を迎えた。職業野球が始まった年に生まれ、後に「ミスタープロ野球」と呼ばれた。その人生は日本のプロ野球の歴史に重なる。
「記憶に残る男」と代名詞のように言われる。確かにそうだが、実際は「記録にも残る男」でもあった。
17年間の現役生活を通じて全て100試合以上に出場し、毎年、打率順位がついている。58年の新人時代から74年の引退まで毎年規定打席に達したレギュラーだったのである。一度も2軍落ちはない。
17年間毎年、ベストナインに選出されて、球宴にも選ばれた。また新人から4年連続で主要打撃3タイトルを獲得している。その数は6個だ。
過去にも例がなく将来もないだろう。
球史に残る天覧試合のサヨナラ本塁打をはじめ、勝負強い打撃と華麗な守備は人々を魅了し、国民的人気を集めた。背番号「3」は憧れの数字となった。
巨人の監督としては1034勝で、5度のリーグ優勝、2回の日本一に導いた。
その活躍もさることながら、人気の根底には天真爛漫な人柄と楽天的な明るさがあった。
今でも「長嶋語」が大いにもてはやされている。長嶋が発言した、または発言したとされる言葉で、真偽が怪しいものもあるが、人間的な魅力が浮かぶ。
「いわゆる1つのファインプレーですね(『いわゆる1つの』は口癖)」
「ルックしろ! ハイボールは(高めの球は手を出すなの意味)」
「鶴さん、しばらくでした(俳優の高倉健と会ったが、鶴田浩二と間違える)」
「ラッキーセブンの3ですね(好きな数字を聞かれて)」
「オレはなぜバースデー本塁打が打てないんだろう?(誕生日はキャンプ中の2月20日)」
「へー、で、いつなんですか?(ファンに長嶋さんと誕生日が同じと言われ)」
「ヘイ! カール、シーユーアゲイン(カール・ルイスに向かって。また会ったなとあいさつしたつもり)」
「電車が行き先を間違えちゃって、遅れたんだ(遅刻の言い訳)」
「アメリカにも進出しているんだ。大したもんだ(ニューヨークでマクドナルドの看板を見て)」
「人生はギブアップだ!(『諦めるな』と選手にカツを入れるつもりが、『ネバー』が抜けていた)」
「EXIT、さすがアメリカはエキサイトしていますね(アメリカの球場で出口の看板を見て)」
「スズメ軍団、今年はやるんじゃないですか!(キャンプでヤクルトを視察して)」
これらはほんの一部である。野村克也は多くの人生訓を残したが、長嶋語はたびたび名言ではなく迷言・珍言と言われた。
巨人監督時代の96年2月20日、キャンプ中に還暦を迎えた。ブルペンの一角に関係者・報道陣が集まりお祝いをした。
赤いちゃんちゃんこに袖を通して言った。
「今日初めての還暦を迎えまして」
初めての還暦という言い方がおかしく、周囲がドッと沸いた。この時、長嶋はオヤッという表情を浮かべた。
還暦は60年で干支が一巡して生まれた時の「歴」に「還る」という意味だ。生まれ直しの年、赤ちゃんに戻る。赤のちゃんちゃんこを着るのはそのためだ。
第2の人生の始まりである。2度目の還暦もある。120歳は大還暦と呼ばれる。新たな決意で第2の人生に踏み出すという決意が込められていた。
今、100年時代が到来した。「初めての還暦」は将来を見据えたもので、迷言・珍言ではなく正真正銘の名言だった。
長嶋は04年、脳梗塞で倒れた。アテネ五輪野球日本代表監督だった。志半ばで病魔に襲われた。
だが、200万人とも言われる同病患者を励まそうと懸命なリハビリを重ね、何度かの危機を乗り越えた。倒れても第2の人生を力強く歩んでいる。
13年に国民栄誉賞を松井秀喜と同時受賞した。
21年7月、東京五輪の開会式で国立競技場での聖火リレーに王貞治、松井秀喜とともに参加した。ゆっくりと確実に場内を進む姿に見る者は感動した。
日本政府は21年10月、長嶋に文化勲章を授与した。野球界からの選出は初めてで、こんな野球人はもう出ないだろう。
スターは何歳になろうがスターであり、そのイメージは変わらない。不世出の大スターならなおさらである。
74年、引退の際に名言中の名言を残した。
「わが巨人軍は永久に不滅です」
だが、長嶋を愛する誰もがこう思う。
「われらが長嶋茂雄は永久に不滅です」
(敬称略)
猪狩雷太(いかり・らいた)スポーツライター。スポーツ紙のプロ野球担当記者、デスクなどを通して約40年、取材と執筆に携わる。野球界の裏側を描いた著書あり。