取材開始から10分が経過した頃、しきりに咳払いをすることに気づき、ハッとした。お茶を出し忘れていたのだ。すぐに用意するとお笑い芸人のワッキー(52)がグイッと流し込む。「助かります。治療の後遺症で唾液が出づらくなってしまったんです」と、20年に発症した中咽頭ガンとの日々について語り始めた─。
お笑いコンビ・ペナルティのワッキーが初期の中咽頭ガンと診断され、治療のために入院することを所属事務所の吉本興業が公表したのは、20年6月7日のことだった。
「芸人仲間に連絡したのも同じタイミングでした。(品川庄司の)庄司智春(48)からは、泣きながら電話がかかってきましたね。相方のヒデさん(53)には公表する2週間前に伝えていて。とても動揺していましたが『治るガンだから、しっかり治してくるよ』と言いました」
喉にしこりを見つけたのは、公表する約2カ月前の4月上旬。1週間後にしこりが増えたことで、かかりつけの耳鼻科へ行くと、大学病院を紹介された。
「検査から1週間弱で連絡があって『奥さまも一緒に結果を聞きに来ますか?』と。何でそんなこと聞くんだろうと思いながら1人で病院に行ったら『ガンです』と。お酒もタバコもやらないし、運動もしているから『いや、違うんじゃないですか?』と、食い下がったほどでした」
病院から自宅まで車で10分ほどだが、何度も路肩に車を停め、そのたびに家族の顔が思い浮かんで、すぐに帰ることができなかった。
「『死』と直結しているイメージが強くて、この日は妻に言えませんでした。それからは子供と遊んでいても『パパ、死ぬのになぁ』なんて思ったり‥‥。すごく、しんどかったですね」
妻に報告したのは1カ月後。2度目の検査で首に2カ所の転移が発覚した日だった。その時の反応は「ああ、そうなんだ」と「あっさり受け入れてくれたことに救われた」という。
この時点でガンの大元である〝原発〟は不明。セカンドオピニオンによる精密検査、触診などを経て、中咽頭ガンだとわかった。
「先生から『(原発が見つかって)おめでとう』と言われたのが印象的でしたね(笑)。見つからないと、さらに転移の可能性も高くなりますから。しかも『90%以上の確率で化学療法で治る』とも。ただ、後遺症として味覚障害、唾液が出づらくなる可能性が高いと言われました。僕は色濃く残っちゃいましたね」
2カ月間の入院中、放射線治療は約30回、抗がん剤が3回。副作用もあった。
「放射線治療のため、口から食事ができず、事前に『胃ろう』( 胃に穴を開けて専用のチューブを挿入し、栄養補給をする方法)の手術をしました。固形物が食べられないことと、抗がん剤によるだるさ、気持ち悪さで体が弱り、体重は約10キロ減りました」
入院中に頭の中を占めていたのは、「お客さんの前でコントがしたい」ということだった。そして、告知から約1年後の21年3月に仕事復帰を果たすが、「何かヘンでした」と振り返る。
「テンションを上げて挑んだんですけど、ドッと疲れてしまって‥‥。今思うとムリヤリ頑張って、トップギアまで持っていっていたんでしょうね」
舞台上では〝唾液問題〟にも直面していた。
「10分もしゃべれないんですよ。例えば、マラソンをしていて喉がカラカラになるけど、自分で唾液を出すことができない‥‥という感覚を想像していただくとわかりやすいのかな。だからコントでも、5分ごとに水を飲むくだりを作って、相方から『アーティストかよ!』と、ツッコまれるというボケにしました」
治療開始から4年目を迎えた今「唾液はそれまでの3割しか出ないし、味覚は6割しかわかりません」と言うが、主治医の「唾液は少しずつ戻るから希望を持ってください」という言葉を常に頭の片隅に置いている。
「最近では相方がしゃべっている時、ない唾液をどうにか集めて自分の見せ場に備えたり、喉を広げて歌ったり、10分以上もたせられるようになりました。味覚は『こういう味だったよな』と思い出しながら食べるとギャップが生まれちゃうから、『これがこの食べ物のおいしさだ』と思って、頻繁に味変しながら食べています(笑)。塩やこしょうやソースを使って。おいしく食べたいから苦肉の策なんですけどね。『ガン』という存在に必要以上に脅えて生活していると、人生もったいないですから」
後遺症に悩まされながらも、食べることと生きることは直結するのだと、教えてくれているようだった。
わっきー:1972年7月5日生まれ、北海道出身。お笑いコンビ「ペナルティ」のボケ担当。サッカーの名門、市立船橋高等学校を卒業後、専修大学に進学し、プロサッカー選手を目指す。94年、高校のサッカー部の先輩だったヒデに誘われてペナルティを結成。同年、銀座7丁目劇場のオーディションに合格し、本格的にお笑い芸人の道へ。芸能界屈指の身体能力の高さを誇り、スポーツ系特番の常連でもある。