15年12月に大腸ガンが見つかった内田春菊氏(64)があっけらかんと、鎖骨下のカテーテル挿入痕を見せる。「ここにプスッと刺して抗がん剤を入れていたの。ストーマはこんなふうになっているんです」と、さらにTシャツの裾をめくり、腹部のベージュのストーマ装具も見せてくれた。
異常な便秘や下腹部の痛み、そして肛門からの不正出血がきっかけで近所の病院を訪れた時は「まさか大腸ガンであることなど露ほども思わなかった」という。「内視鏡検査をしただけで、厳密に言うと告知されたわけではない」と、前置きして当時を振り返る。
「最初のお医者に『一刻を争う』と告知同然のことを言われた時、家族に送ったLINEを見返すと、意外と落ち込んでいるんです。『思ったよりも状況が悪い。大きな病院へ行くことになりました』と書いていて。すぐに知り合いの先生がいる大学病院へ行って、触診してもらいました。ガンじゃなければいいのに、と思っていたけど、やっぱりそうだったか‥‥って」
当日の夜、次女から「死なない?」と聞かれたが、「この時にはもう『このガンで死ぬのは相当な努力が必要』とか返せるくらいにはなっていた」という。
数日後、抗がん剤治療のために入院し、指先だけ冷蔵庫に入れたようなシビレを感じる副作用があった。6回目の抗がん剤治療後の16年4月に腫瘍は小さくなったものの、肛門付近から遠ざけることができず「肛門付近での再発を避けたい」という主治医の判断により、腫瘍切除と人工肛門(ストーマ)を作る手術を行うことに。左下腹部に腸管の一部を出して便の排泄出口を造設したのだ。
「人工肛門ってアンドロイド? みたいなことを考えていましたけど、息子がネットで検索して『梅干しみたい』と。私は怖くて見られなかったんですけどね。でも実際、見た目は梅干しみたいですよ(笑)」
しかし術後、初めてシャワーを浴びた時に驚愕することになる。
「もともとそんなに立派じゃないんですけど、もうキューッと縫われていてペタ〜ってなってるんですよ、お尻が。今はだいぶ育っていますが、このくらい(茶筒ほど)のリンパ節を腫瘍と一緒にザックリ取ったから、傷も大きいみたいで。この時にずいぶんネタを作りましたね。『世界一ケツの穴が小さい人間になってしまった』とか『生きて腸まで届くなんて、私には簡単』とか(笑)」
そんなユニークな視点に同席していた内田氏のマネージャーもつい顔がほころぶが、その一方でシリアスになる場面も─。
「退院前に『このまま何もできない、使いものにならない母ちゃんになったらどうしようと思うと泣けてくる』と先生に話したら『退院後が不安だという人は大丈夫。自信満々で帰る人の方がトラブルが多いですから』と言われて、なるほどなぁと思いましたね」
当初は排泄が制御できないことに戸惑いがあったものの、今では「肛門のある人は大変だね、なんて子供に軽口を叩くくらい」で、腸に関する大きなトラブルはないという。
「温泉にも入れるし、着る服も、うつ伏せ寝も問題ないです。夏場は汗をたくさんかくから水分量が多くて、装具の早い交換が必要なくらい。ただ、お酒をやめるまでの1年くらいは飲むとダメでしたね。おなかを壊すから」
大腸ガンを世間に公表した時期、お酒と同時に「恋愛もやめた」と、メディアで発信して話題になった。
「あえて言うことで、みんなどんな反応をするのかなぁと思って。お酒は誰にもウケませんでしたが、恋愛はすごくウケた。『あさイチ』(NHK)のスタッフさんなんて、主治医に『ガンで恋愛をやめたそうですけど、どう思いますか』って聞きに行ったんですよ。主治医は『そう言われましても‥‥』って(笑)」
ウケ狙いとはいえ、率直に感じたことも事実だ。
「恋愛はいいこともあるけど、トラブルの方が多かったから。ストレスを増やしたくないんです。ガンになった時、夫がいなくて本当によかったと思ったし、治療が孤独だと思ったこともありません。看護師さんに聞くと、ストーマの説明をしようとすると『いや、嫁に言っておいて』と、聞こうとしない男性もいるそうですね。逆に『ストーマになった夫が、愛人から私の元へ戻ってきた』と喜ぶ女性もいるそうです」
現在は経過観察中で定期的に検診をしているそうだが、恋もしているという。
「これ以上、いっちゃいかん、と足踏みしている状態です(笑)。しばらくすると収まるって、(私自身)わかってますから」
内田春菊:1959年8月7日生まれ、長崎県出身。84年に漫画家デビュー以降、多方面で才能を発揮。93年には初小説「ファザーファッカー」が直木賞候補となり、歌手、俳優としても活躍。15年に大腸ガンが発覚して以降を克明に綴った「がんまんが」や「すとまとねことがんけんしん」を刊行。86年の漫画作品「南くんの恋人」を原案としたドラマ「南くんが恋人!?」(テレビ朝日系)が放送中。