「利息の高い金取引で生活が楽になりますよ」
そんな魅力的なエサをチラつかせ、金の販売を目的に、現金ではなく「純金ファミリー証券」なる預かり証券を発行。1981年の会社設立からわずか4年で高齢者や主婦ら約2万9000人から、2000億円を集めることに成功する。それが「ペーパー商法」で一躍話題になった、永野一男会長率いる「豊田商事」である。
豊田商事の顧客獲得方法はこうだ。「名簿屋」から入手したリストをもとに、「テレフォンレディ」と称する女性たちが高齢者宅などに片っ端から電話をかける。その後、実働部隊であるセールスマンが家に押しかけ、強引な勧誘で契約させる。
「女性社員がひとり暮らしの男性宅に通い、風呂場で背中を流すなど手練手管で契約をとることは日常茶飯時。1984年の最盛期には4000人を超える社員が働いていたとされ、営業成績優秀なセールスマンは月収1000万円にも。彼らによる人海戦術で、ペーパー商法を全国展開していきました」(当時を知る社会部記者)
とはいえ、実際には金の現物はほどんどなく、商品はただの紙切れ。ただし、さすがに金を扱うだけに、豊田商事にはとんでもない財力があるとアピールするため、大阪本社には純金の塊を積み上げた神殿を作ったり、有名演歌歌手のショー付きパーティーを開催したり。はたまた大口購入者には豪華客船クルージングをプレゼントするなど、ド派手なパフォーマンスを展開する。
その派手な活動がマスコミの話題になると、次第に消費者センターには「父が騙された」「母が金をむしり取られた」といった家族からの相談が相次ぐ。その結果、「被害総額2000億円の巨額事件」が連日、マスコミを賑わせる事態になった。
ここで前代未聞の事件が発生する。「永野会長、今日にも逮捕か!」と報じられた1985年6月18日、多くの取材陣がマンション前で待機する中、自称右翼の男2人が登場。
「詐欺被害者に頼まれて来た。もう金はええから、ぶっ殺してくれと」
そう話すと、取り囲む報道陣の目の前で、永野会長宅の窓ガラスを割って室内に侵入。手に持った銃剣で永野会長をメッタ刺しにして「警察を呼べ、俺が犯人や!」と叫んだのである。
病院に搬送された永野会長は、出血多量で死亡。2人の刺殺犯は翌年、「犯行動機は悪徳商法に対する義憤であり、計画性は認められない」として懲役8年と10年の判決が言い渡された。
永野会長刺殺の翌月、豊田商事は破産。管財人による資産回収で戻った債権額は122億円だった。豊田商事が得た2000億円という莫大な資金は、すでに消えてしまっていた。
(丑嶋一平)