パリ五輪で日本代表選手が最も多くのメダルを獲得した競技はレスリングだった。金8、銀1、銅2。とりわけ女子は全階級でのメダル奪取という快挙だった。
振り返ればアテネ、北京五輪で銅メダルを獲得し、日本中を歓喜に沸かせた女子レスリング72キロ級の浜口京子は、父・アニマル浜口との親子鷹で大いに話題になったものだ。
むろんこの親子にとって、3度にわたる五輪出場までの道は厳しいものだった。2007年9月、アゼルバイジャンで行われたレスリング世界選手権。京子は2回戦でブルガリアのスタンカ・ズラテバ選手と対戦。第2ピリオド残り30秒で投げ合うと、相手選手のローリングに3ポイントが入る。しかし、京子は無得点だ。
当然ながら、日本側が猛抗議する。しかし、ビデオ判定も却下され、試合はそのまま続行。ポイント差で京子の敗戦が決まった。
納得できないアニマルは、試合終了とともにマットに上がると、
「どうなってるんだよ!」
しかし、いくら激怒しても疑惑の判定が覆ることはなく、気持ちを引きずったまま、敗者復活2回戦に臨むことに。結果は惨敗だった。
北京五輪出場枠を逃したことで、成田空港に降り立った京子の憔悴ぶりは痛々しいほどだった。怒りが収まらないアニマルは、報道陣を前にこう吠えたのである。
「浜口京子と私は世界のレスリング界から抹殺されたんだ! 京子、お前のレスリング人生13年間でやってきたこと全てを否定されたんだぞ!」
京子のショックはあまりにも大きかった。その後も気持ちを切り替えることができず「現実を受け入れられない」と弱気発言を繰り返す毎日。そのたびに父は怒りを爆発させながらも、娘を立ち直らせるために叱咤激励を続ける。そして、彼女の闘争本能を蘇らせた。
翌2008年3月に韓国で行われたアジア選手権で優勝。2大会連続で五輪代表に内定し、同年の北京五輪に出場すると、銅メダルに輝いた。そして4年後の2012年ロンドン五輪にも出場。しかし「オリンピックに棲む魔物」にニラまれたのか、初戦でまさかの敗退となった。悲願の金メダル獲得の夢が絶たれたばかりか、3大会連続メダルとはならなかった。
とはいえ「ここまでこれたのは家族の支えがあればこそ」というアスリートがよく口にする言葉を改めて実感させる、彼女にとって集大成となる大舞台となったのである。
(山川敦司)