既に閉幕したパリ五輪は各競技で様々なドラマが生まれたが、日本のお家芸といわれてきた柔道では、男子60キロ級で永山竜樹と対戦したスペインのフランシスコ・ガリゴスが、主審の「待て」宣告を無視。数秒間、絞め続けたことで永山が失神し、不可解な一本負けを喫したほか、他の試合でも誤審を疑われる判定が目立った。その結果、東京五輪での金9個、銀2個、銅1個から、金3個、銀2個、銅3個と大幅にメダルを減らす、無念の大会となってしまったのである。
五輪での誤審で忘れられないのが、2000年9月22日のシドニー五輪、男子柔道100キロ超級決勝で、まさかの誤審で敗れた銀メダリスト、篠原信一ではないだろうか。
篠原の相手は五輪ディフェンディングチャンピオン、フランスのダビド・ドイエ。序盤のせめぎ合いから「内股」で攻めるドイエに対し、巧みに技をすかして右足で踏みこたえた篠原は先にドイエを畳に落とし、副審の「一本」を確認してガッツポーズ。しかし、電光掲示板に映し出されたのは、篠原のポイント消滅。主審ともうひとりの副審が、ドイエの内股に有効を与えていたのである。
その後、守りに入ったドイエは「注意」を受け、ポイントは一時並んだが、残り46秒で内股を返されて、有効を奪われると、篠原の敗戦となった。柔道界だけでなく、日本の五輪史、スポーツ界に残る悔恨の試合となってしまった。
まさかの銀メダルとなった篠原は記者会見で「弱いから負けた」と短くコメントしただけで、「内股透かし」を見逃した審判への不服も、ドイエへ恨みの言葉も口にすることなく、その勝負師としての潔さが逆に国民に支持されたものである。
そんな「世紀の誤審」から20年の時を経た2020年5月、男子60キロ級五輪3連覇の野村忠宏のYouTubeチャンネルに、シドニー五輪100キロ級金メダリストの井上康生とともに、オンライン出演した篠原。井上が振り返る。
「高校時代からいちばん強いと思い、目標にしてきた。初対戦の1998年、全日本選手権決勝では何もさせてもらえず、一本負け。2000年の大会決勝でも敗れた」
そして3度目となった2001年大会決勝では、井上が旗判定で初勝利する。しかし…。
「残り30秒まで自分が優勢で焦ったのか、篠原さんが『内股掛けてこい!』と。幻滅しましたね(笑)」(井上)
このひと言で、それまで憧れていた感情が崩れ去ったとして、
「表彰式でも『なんで内股を掛けてこないんだ!』と何度も言われましたが、(内股透かしを狙う相手に)掛けるわけがない(笑)。3連覇を狙っていた選手とは思えませんでしたね」
この暴露発言には野村も大爆笑して、
「シドニー五輪の『弱いから負けた』がクソに思えてきますね」
と思わずツッコミを入れるなど、和気あいあいのまま番組は終了した。
当時の3人の活躍をリアルタイムで体感してきたファンにとっては、思わずクスッとさせられる問題発言だったのである。
(山川敦司)