NHKの大河ドラマ「光る君へ」も後半に入り、いよいよ紫式部が「源氏物語」の執筆へと向かっている。ドラマも佳境に突入したわけだが、そこで気になるのは、平安時代を代表する女流作家の素顔である。
この大河ドラマにおいて、話題を集めているのが紫式部と並ぶ女流作家・清少納言との本当の仲だ。
今のところ、ドラマ上では吉高由里子(36)が演じる紫式部とファーストサマーウイカ(34)が扮する清少納言の仲はウマいこといっている。互いに行き来しながら、リスペクトする間柄といったところか。
しかし、実際の2人は宮中に出仕した時期もズレており、顔を合わせたかも怪しいところだ。それどころか、紫式部は清少納言が大嫌いだったようなのだ。
それは「紫式部日記」の記述からもわかる。そこには〈清少納言こそ、したり顔にいみじうはべりける人〉と書かれているのだ。この続きを読むと、清少納言は得意げな顔をしているけど、書いているものは大したことないし、自分は他人とは違うと思い込んでいるようで、この調子は続かないよね‥‥となっている。
まるで炎上必至のアンチコメントである。現代ならば、紫式部は仕事を失う可能性すらあっただろう。
「紫式部ほどのインテリ女性がまさか‥‥と思われるかもしれませんが、『紫式部日記』には同僚の女房らを寸評するくだりもあり、あれこれ他人を無節操に悪くいうのは憚られるなどと書きつつも、日記を書き進むうちに、つい本音を漏らしてしまっているんです」(跡部氏)
例えば、「昔は美しい若女房だったのに、今では琴柱をニカワでつけたような人(融通がきかない人)になった」など、罵詈雑言というよりはユニークな表現で茶化していると見られる。
先の清少納言への記述は、「枕草子」で紫式部の夫である藤原宣孝への記述があって、その意趣返しという説もある。何せ紫式部は夫が別の女性のもとへも通っていたことを知るや、嫌味たらしい恨み言を歌に託して送りつけたこともある。清少納言にも何か言ってやりたかったのだろう。
その清少納言だが、仕えた定子の死後に宮中を出るわけだが、どんな晩年だったのか。これには諸説あって判然としない。そうした伝承の1つかもしれないが、「古事談」(鎌倉時代の説話集)にはコワ〜い晩年が記されている。
源頼親(摂津源氏の一族)の手の者が、清少納言の兄の屋敷を取り囲んだ。兄の知人に〝子分〟を殺されたことへの復讐をしようというのだ。この襲撃時、彼女はたまたま兄の家に同宿していて、出家して尼僧姿だったが、賊たちは男が尼僧になりすましていると見た。そこで、清少納言は〈たちまちに開をいだす〉という行動に出た。「開」とは女性器のこと。清少納言は陰部を見せて、難を免れたというのだ。
2人ともドラマとは違うキャラだったようだ。