1985年、プロ野球界のレジェンド・清原和博氏がドラフト会議で「運命の日」を迎えてから39年。その長男で慶応大学4年の清原正吾がプロ志望届を提出。親子2代で「運命の日」を迎えることになった。
とはいえ、厳しい見方をする球界関係者は多い。
「本格的に野球に打ち込んだのは大学からなので、伸びしろはあるかもしれない。清原ジュニアとして話題性はあるが、正直言ってプロで活躍できるまでの実力はというと、疑問符が付く。少なくとも上位での指名はないだろう」(パ球団関係者)
父のドラフト会議当日を振り返ると、子供の頃からの熱烈な巨人ファンであることを公言していたにもかかわらず、巨人は早稲田大学進学を表明していたPL学園のチームメート・桑田真澄をドラフト1位で強行指名。
それに対して阪神、南海、日本ハム、中日、近鉄、西武の6球団から1位指名を受けた和博氏は抽選の結果、西武が交渉権を獲得。ドラフト会議直後の記者会見では、失意の涙を流す姿が放送された。
「打倒巨人」を掲げてプロ入りを果たし、1987年の日本シリーズでは、残りアウト1つで日本一という場面で涙するいう名シーンが生まれた。生まれ持ってのスター性は抜群だった。
清原ジュニアをめぐっては、一部報道によると、PL学園で父の2年後輩であり、プライベートでの親交が知られる立浪和義監督が率いる中日が指名する可能性があるという。しかし立浪監督をめぐっては、今季限りでの退団の可能性もあるため、異例の展開が巻き起こるかもしれないというのだ。
「上位での指名はなさそうなので、各球団は『下位でも取れる』と余裕の構えですが、下位にもかかわらず指名が複数の球団でかぶってしまうかもしれない。それはそれで、ドラフト史に名を残すことになる」(スポーツ紙デスク)
10月24日のドラフト会議、上位の候補よりも清原ジュニアが注目を浴びそうだ。
(高木光一)