男子テニスで史上2位の4大大会通算22勝を誇る元世界ランキング1位のラファエル・ナダル(スペイン)が、現役引退を発表した。11月に地元スペインで行われる国別対抗戦デビスカップ杯ファイナルが最後の大会となる。
10月10日に自身のSNSに投稿された動画では、この2年間にたび重なるケガがあったことを振り返りつつ、「キャリアに終わりを告げる、適切な時だと思う」と決断の経緯を説明した。
テニス界はこの20年間、ロジャー・フェデラー(スイス)、アンディ・マレー(イギリス)、ノバク・ジョコビッチ(セルビア)の「BIG4」が君臨。2003年以降、84回のグランドスラムのうち69大会を、BIG4が独占していたが、ナダルの引退で現役選手はジョコビッチのみとなる。
2010年の全米オープンで4大大会を全制覇し、2008年の北京五輪金メダルと合わせた「生涯ゴールデンスラム」を達成しているナダルだが、クレーコートで行われる全仏オープンでは116試合で112勝を挙げる無類の強さを誇り、「赤土の王者」「土魔人」の異名を持つ。
「クレーコートはバウンドしてから高く跳ねるという特徴があり、サウスポーから繰り出されるゴリゴリのトップスピンとの相性が抜群。相手をコート後方に押し下げて甘い球を引き出し、決めていく、というシンプルな戦略を誰も攻略できませんでした」(テニスライター)
全仏オープン歴代最多となる14度の優勝を果たしたナダルについては、テニスファンの間で「史上最強だったのは何年か」という議論がたびたび行われてきた。
ナダルの名前が世界的に広まったのは、初出場初優勝を飾った2005年。19歳という若さあふれるフィジカルを武器に、無尽蔵のスタミナでどんなボールにも追いつき、準決勝ではフェデラーを撃破。決勝戦の相手は試合後にドーピング検査で陽性が発覚しており、もしナダルが勝利していなければ、あわやテニス界に「黒歴史」が刻まれるところだった。
「最強」候補の筆頭としてよく挙げられるのは、2008年だ。それもそのはず、決勝戦ではフェデラーに3-0で完勝しているが、とりわけ3セット目はベーグル(6-0)をつけているのだ。
「フェデラーがベーグルをつけられたのは、まだ世界ランキングが100位台だった1999年以来、9年ぶりのことでした。それを絶対王者相手にやってのけたのですから、この年を『最高傑作』と評するテニスファンは多いですね」(前出・テニスライター)
次いで心技体のバランスが最も良かったとされるのが、2010年である。この年のナダルはサーブ力が向上し、平均スピードが2008年よりも10キロほどアップ。対戦相手がサービスゲームをブレイクするのは至難の業で、「王者の風格」だけで圧倒できた時代だった。
そして31歳となった2017年が、ナダルの「最高到達点」とされる。体力に任せてコートの後方からパワーストロークでゴリ押しするスタイルから、できるだけ前でプレーするスタイルに変身。ラリー数を減らし、体力を温存する一方で、これまで得意としなかったネットプレーにも磨きがかかった。
決勝戦でキャリア最高のテクニックを見せつけられたスタン・ワウリンカ(スイス)が、お手上げとばかりにボールを口に加えたシーンは、語り草となっている。
ナダルといえば「多すぎるルーティン」も有名だった。コートに入る際にラインを踏まず、必ず右足からまたぐ。それから靴下の位置、パンツの位置を直す。コイントスの時にぴょんぴょん飛び、その後はベースラインまでダッシュ。サーブを打つ前には鼻を触り、さらに耳を触ってからボールを何回か突く…などなど。
コートチェンジごとに繊細にペットボトルを並べ、ラベルも同じ向きに揃えるのだが、ナダル本人はこのルーティンについて、次のように話している。
「僕は2本のボトルを足元に置くんだ。ひとつはもう1本の後ろにきちんと置き、コートに向かって斜めにしている。迷信だと言う人もいるが、そうではない。自分の頭の中で求めている順番に合わせて、身の回りを整理整頓することが、試合に入り込んでいく方法なんだ」
2015年の全豪オープンでは、ナダルがサーブを打とうとした瞬間、ボールパーソンの男の子がコート内を横切り、風で倒れたナダルのボトルを直すという場面がありました。このボールパーソンはナダルにとってボトルの位置がどれほど大切なものかよく知っていたため、ナダルがやっているようにラベルをコートに向けて並べ直すことに。ナダルが嬉しそうに笑っていたのが印象的でしたね」(前出・テニスライター)
惜しむらくは、復調している錦織圭との対戦をもう一度見られないことだが、世界中のファンの目には、赤土でのナダルの勇姿がしっかりと焼き付けられていることだろう。