今シーズン限りでの退任が決定した、川崎フロンターレの鬼木達監督。8シーズンで7つのタイトルを獲得した名将だけに、すぐに「次」も決定しそうだ。事実、ロス五輪代表や、古巣である鹿島アントラーズの監督に名前が挙がっている。
今後の日本サッカーを担っていく存在なのは間違いなかろうが、若い頃は名将と呼ばれる監督になるとは思えなかったと、鹿島でチームメイトだった名良橋晃氏が明かした。
名良橋氏は1997年にベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)から鹿島に移籍。高卒でプロ入りした鬼木監督はすでにチームにいたそうだ。自身のYouTubeチャンネルで奈良橋氏が回想するには、
「鬼木監督が千葉つながりで僕にいろいろと(してくれた)。間をもってくれた」
そんな感謝の念を抱いているという鬼木監督について、チャンネルスタッフから「当時からなるべくして監督になるような人物だったのか」を聞かれるとすぐには返答せず。横から名良橋氏の関係者が、
「今の名良橋さんの表情を補足すると、ワッキーさん(お笑いコンビ・ペナルティ)が市立船橋で3年生の時に鬼木さんが1年なんですけど、ワッキーさんは『まさかとおるちゃんが監督をやるとは思わなかった』って」
なんと、名良橋氏の本音をうまく代弁したのである。この発言に続いて、名良橋氏は鬼木監督の素顔を暴露する。
「キャラクターを考えると本当に失礼なんですけど、ここまでとは本当に予想もしなかった。天然というか、イジられていたところもある。本田(泰人)さんには『とおる、とおる』って言われてました。僕は『とおるちゃん』と(呼んでいた)。上の人には愛されてましたし、下からはイジられていた感じ」
大人のJリーガーなのに、ちゃん付けされる時点でそのキャラクターをわかってほしいと、笑顔を見せたのである。奈良橋氏はさらに、
「ここまで素晴らしい指導者になるっていうのは、本当にごめんなさいって感じ」
選手からはなんと呼ばれているのか。「とおるちゃん」はないはずだが…。
(鈴木誠)