見た目が芸人のカンニング竹山に似ているだけではなく、お笑い好きのおじさんとしても知られている。
「五輪の監督に就任した時、サッカー協会から『ダジャレはやめてください』と忠告を受けていました」(スポーツ紙記者)
だが、それを「フリ」だと思ったのか、ミーティング中など、毎回のようにダジャレを連発。例えば、もの静かな選手たちには、
「お前ら硬いよ。硬いのは意志(石)だけでいい」
とかまし、ドヤ顔の表情を見せた。
「選手たちは聞き流していましたが、キャプテンの遠藤航(23)だけ、気を遣って、ニコッと笑っていました」(サッカー協会関係者)
サッカージャーナリスト・六川亨氏が続ける。
「試合前の会見でも、ひと笑いを取ってやろうと意気込み、ダジャレを放り込んできます。記者たちは誰も触れないし、会見後も不思議と何を言ったのか、覚えていません(笑)」
それでも試合になると戦況を冷静に分析し、交代のタイミングを見極め、チームをアジアNO1に導いた。スポーツライターの小宮良之氏が語る。
「手倉森監督の采配は、ベガルタ仙台時代に東日本大震災を経験してから目に見えて変わったと言われています。運命論者というか、神がかり的になり、腹をくくった印象ですね。欧州や南米の監督でいちばん求められるのは『決断』という仕事。メンバー選考でも正直、選んだ選手より結果を残している選手はいたんですが、『五輪出場』に向けて、批判覚悟で切り捨てました」
チームを立ち上げた時のメンバーを結束させ、試合ごとにコンビネーションが磨かれたという。
「先発メンバーが決まっていても、試合直前に直感がひらめき、入れ替えることがよくありました。北朝鮮戦で決勝点を決めた植田直通(21)も控えだったんですが、直前で先発起用を決めたそうです」(前出・スポーツ紙記者)
出場できなかった選手には個人面接をして、「試合中に困った時には(ベンチに)お前がいるから安心できた」などの気配りも忘れなかった。
「ベガルタ仙台の時から選手を呼び出して、『お前は今日ゴールを決める』と暗示にかけるのがうまかったそうです」(前出・小宮氏)
平安前期の僧「空海」の教えと、自分の考えが近いことでシンパシーを感じ、空海の言葉を指導の参考にすることがあるという。
人間形成も大事にしていた手倉森監督は、ピッチ外での教育を重視。時には竹山の持ちネタ「キレ芸」で、選手の心をつかむ操縦術を見せていたようだ。
「遠征先のバングラデシュでは、『ふだんどれだけ恵まれているのか知るべきだ』と、野良犬だらけの練習場でトレーニングをさせました。練習着の日の丸部分で体を拭いた選手には、『国を背負う以前の問題だ』と怒ったことも。選手からは兄貴分のような存在で慕われています」(前出・スポーツ紙記者)
本大会まであと半年。大舞台で再び「手倉森マジック」が炸裂するか。