10月21日、ウクライナ国防省の工作機関「情報総局」(GUR)が、「ロシア西部の村でロシア軍の航空機操縦士が”処分”された」と発表した。つまり自分たちが暗殺したということだ。
GURによると、この操縦士はこれまでウクライナのショッピングセンターなど数カ所の民間施設への攻撃に参加し、多くの民間人を殺害した張本人だという。GURは本人を特定し、ロシア領内に潜入・追跡して殺害したわけだが、遺体には頭部へのハンマーによる複数の打撲痕があったとされ、これが死因につながったという。銃声を避けたのかもしれないが、なかなか凄まじい暗殺だ。
今も続く戦争は、一方的にウクライナを侵攻したロシアに、すべての非がある。ロシアは「軍事的な標的しか攻撃していない」とシラを切り続けているが、前述したショッピングセンターのような民間施設が攻撃され、学校や病院すら狙われてきた。町や村ごとを消し去るような火力を使用しての戦闘であり、多くのウクライナの一般住民が犠牲になっている。
もっとも、ロシア軍ほど大規模ではないが、ウクライナ側もロシア国内を散発的に攻撃している。標的はロシア軍の航空基地や補給拠点が多いが、モスクワの民間ビルやクレムリン屋上なども狙われた。長距離を飛行できる無人機による攻撃が多いが、それらはウクライナ軍内では特殊作戦と位置づけられており、GURが指揮している。
GURはウクライナ軍でも特別な組織だ。ロシア国内での特殊作戦の司令塔だけでなく、情報機関としてロシア軍の内情を探ることに加え、国際的に自分たちに有利になるように計算して情報発信工作をしたりもする。この10月中旬、北朝鮮が軍をロシアに派遣した疑惑が持ち上がったが、盛んにGURが欧米のマスコミに情報を流していた。暗殺も今回が初めてではない。23年7月には、やはりロシア国内でジョギング中のロシア軍潜水艦艦長を射殺している。
こうしたダーティな活動も担当するGURを率いているのが、長官のキリーロ・ブダノフ中将だ。まだ38歳と若いが、ウクライナ軍内でもトップクラスの上級幹部である。
07年に士官学校を卒業して入隊。GUR内の特殊部隊に配属され、軍の工作要員として育成された。転機は14年に起きたロシア軍のクリミア侵略と、それに続いたウクライナ東部での戦闘だ。実は、当時のウクライナ軍には即応戦力があまりなく、GURが戦いを率いた。不足する兵力を補うため、サッカーのフーリガンまで含む現地住民の志願兵、さらに海外からの義勇兵まで組織・訓練し、戦った。この時、ブダノフはまだ20代だったが、クリミア襲撃作戦で一部隊を率いた。いわば、実戦で鍛えられた工作要員なのだ。
GURは旧ソ連時代の軍情報機関である参謀本部情報総局ウクライナ支部の後継組織だったが、もともとさほど大きな組織ではなかった。しかし、14年からのウクライナ東部での戦いで大幅に増強されたこともあり、若手要員が中心だった。
以降、米国中央情報局(CIA)がGURに情報収集機材を供与し、若手要員に対ロシア情報活動を指導したことで、両者は深い関係を築いた。CIAだけでなく、米軍特殊部隊、さらに米国と連携する英国の情報機関や特殊部隊とも協力関係ができた。ブダノフはそんな若手幹部の中で頭角を現した。
20年、ウクライナの対外情報機関「対外情報局」副長官となるが、短期間でGURに復帰し、同年中にGUR長官に就任する。当時34歳での長官就任だった。22年2月から始まったロシア軍との全面的な戦いでは、米英などからの軍事協力・情報協力が重要で、その窓口であるGURの役割はますます重くなった。
米英の支援を得て、GURは特殊作戦と情報戦で大活躍した。ロシア側もそれは知っており、何度かブダノフ暗殺を試みているが、それを回避して彼は現在も、最重要な立場にある。
他方、ウクライナには重要な情報・工作機関がもう1つある。ソ連時代の国家保安委員会(KGB)ウクライナ支部の後継組織である「保安庁」(SBU)だ。
14年以降、ウクライナ国内に浸透するロシア側スパイの摘発などを担当したが、SBUの古株の要員にはロシア情報機関と懇意な人物が多く、軍のGURほどは米英との連携はない。CIAはSBU内に若手中心の新部局を作らせ、そこを育成している。
SBUは防諜機関だが、旧KGB時代からの特殊部隊「アルファ部隊」があり、対ロシア戦にも参加している。無人機や無人水上艇を使う攻撃部隊もあるが、旧KGBだけあってGURより、エグい秘密工作も行う。
例えば、22年10月、SBUはクリミア橋で爆破工作を行ったが、その手法は民間の輸送業者のトラックに密かに爆弾を仕掛けるというもので、まったく無関係の運転手ごと吹き飛ばすという荒っぽいものだった。
また、SBUはロシア国内で好戦派インフルエンサーの暗殺工作を何度も行っているが、中にはロシア内の民主派の女性を騙して爆弾を仕掛けさせるという手口もあった。一歩間違えばその女性も死んでいた可能性もあったし、ただ利用されただけなのに彼女はロシア側に逮捕されてしまった。かなりダーティなテロ工作といえる。
そんなSBUを指揮しているのが、長官のバシリー・マリューク中将だ。現在41歳の彼はもともとSBUの幹部コースを歩んだプロパーで、20年に汚職・組織犯罪対策本部担当SBU副長官、ロシア軍侵攻直後の22年3月にSBU第1副長官、同7月に長官代行、翌23年2月に長官に就任している。
もちろんGURやSBUの活動はロシア軍の侵略に対するレジスタンスではあるが、ウクライナの各工作機関は旧ソ連の機関の後継組織だけあって、清廉な活動だけしているわけではない。
黒井文太郎(くろい・ぶんたろう)1963年福島県生まれ。大学卒業後、講談社、月刊「軍事研究」特約記者、「ワールドインテリジェンス」編集長を経て軍事ジャーナリストに。近著は「工作・謀略の国際政治」(ワニブックス)