政治

“全世界からタブー視される”国際ニュースに潜む怪人列伝〈イスラエル情報機関のトップ〉

 9月18日、イスラエルと戦闘中であるレバノンのイスラム武装勢力「ヒズボラ」の戦闘員たちが使っていたポケベルが、一斉に爆発するというテロ事件が発生した。翌19日にも、やはりヒズボラ戦闘員が持っていたトランシーバーが、一斉に爆発した。この2日間のテロで、巻き添えの民間人含む計37人が死亡し、約3000人が負傷している。

 それらのポケベルやトランシーバーには、最初から高性能爆薬と起爆装置が密かに仕込まれていた。台湾製や日本製に偽装されていたものの、実際には正体不明のハンガリーのペーパーカンパニーなどが関与しており、製造・流通過程が不明だ。ペーパーカンパニーの登記時期から、少なくとも2年以上前から、この謀略はスタートしていたことが判明している。

 この前代未聞のテロ作戦を実行したのは、イスラエルの工作機関だろう。イスラエルあるいはパレスチナの外での破壊工作になるので、おそらく首相直属の情報機関「イスラエル諜報特務庁」(通称「モサド」)の仕業である。

 建国以来、パレスチナあるいは周辺アラブ諸国と敵対してきたイスラエルは、こうした裏の活動を行う組織を、いくつも運用している。現在のヒズボラとの戦闘のように、国外の敵と戦うのはイスラエル国防軍だが、同時に情報・工作機関がさまざま活動を実行してきた。

 古い話では、ナチス幹部=アドルフ・アイヒマンの拉致がある。第二次世界大戦後、ナチス幹部の多くは捕らえられたが、逃亡に成功した人物もいた。その1人がアイヒマンだ。彼はもともとナチス親衛隊幹部で、大戦中にユダヤ人の逮捕・移送で主導的役割を果たした男だった。戦後、彼は南米アルゼンチンでひっそりと潜伏生活を送っていたが、60年にモサドが同国で発見し、拉致し、秘密裏にイスラエルに移送した。

 あるいは72年、西ドイツ(当時)で開催されたミュンヘン五輪の選手村で、イスラエル選手団をパレスチナ・ゲリラ「黒い9月」が襲撃し、11人を殺害した事件があった。モサドは、関与した「黒い9月」のテロリストたちを世界各地で追跡し、1人ひとり順番に暗殺した。

 こうした暗殺作戦は、その後も続いている。10年には旅行者に成りすましたモサドのチームが、UAE・ドバイのホテルに滞在中だったハマス軍事部門の上級司令官を、客室内で暗殺。

 20年にも、モサドはイラン国内で、核兵器開発のキーマンである科学者を、AIを使ったロボット銃を遠隔操作して暗殺。さらに24年7月には、イラン訪問中だったハマスのトップを、宿泊先の部屋に仕込んでいた爆弾で暗殺している。

 こうしたダーティな暗殺を行っているのは、モサドだけではない。やはり首相直属の公安組織「イスラエル公安庁」(通称「シンベト」)も、96年にハマス幹部を、爆弾を仕込んだ携帯電話で殺害している。

 モサド、シンベト以外にも、イスラエル国防軍の情報部門「軍事情報部」(通称「アマン」)がさまざまな裏工作を行う。アマンの隷下には、特殊部隊「参謀本部偵察部隊」(通称「サイェレット・マトカル」)、「情報部隊」(通称「マハン」)などがある。また、国防軍には敵側への潜入工作も行う特殊部隊「第89コマンド旅団」(通称「オズ旅団」)もある。国防軍以外でも、国境警察特殊部隊「ヤマス」などが、アラブ人に成りすましてパレスチナ内に潜入し、情報活動、時には破壊工作を行っている。

 このように、イスラエルには暗殺を含むダーティな破壊工作を行う組織は多い。今回のポケベル爆破テロは、モサド主導の作戦だが、通信機技術に詳しい国防軍情報部門・アマン隷下の通信傍受部隊「8200部隊」が協力していた可能性が高い。

 いずれにせよ、イスラエルの安全保障において、モサドの役割はきわめて大きい。要員はわずか約7000人だが、敵国・イランを含む世界各地に潜入し、スパイ活動を行っている。

 モサドには、外国での諜報活動を担当する「ツォメット」、破壊工作を担当する「カエサリア」、海外に潜入しての通信傍受・監視活動を担当する「ケシュト」などの部局がある。ポケベル工作はおそらくカエサリアの作戦で、下準備でツォメットやケシュトが協力したという形だろう。

 モサドの破壊工作担当部局・カエサリアの隷下には、ハマスなど敵対組織の人間の暗殺を専門とする「キドン」がある。前述したドバイのホテルでの暗殺は、このキドンの〝仕事〟だったが、公式に暗殺専門部局を持つ工作機関というのは、世界でもかなり異例だ。

 そんなダーティな活動を行う組織だがモサド長官の地位は高い。国防軍特殊部隊やモサド要員からの叩き上げの人物が就任することが多く、現在の長官であるダビド・バルネアは、まさに筋金入りの経歴の持ち主だ。65年生まれで現在59歳になるが、その半生をモサドで過ごしている。まずは青年期の兵役で国防軍特殊部隊であるサイェレット・マトカルで活動。その後、米国の大学に留学してMBA(経営学修士)を取得して帰国後は投資銀行で働いたが、96年、30歳の時にモサドに入局した。

 モサドでは海外諜報部門・ツォメットで活動。さまざまな諜報活動を行った。その後、海外潜入通信傍受部門・ケシュト副部長を経て、13年にツォメット部長に就任。モサドの海外諜報作戦を指揮した。19年に副長官、そして21年6月に長官に就任している。

 この長官就任時期から考えれば、2年前から始まっていたとされる今回のポケベル爆破テロは、バルネアが長官として押し進めた作戦と見ていいだろう。

 一方、23年10月のガザ紛争発生後、バルネアはモサド長官として、ハマスとの停戦・人質解放交渉を担当。ネタニヤフ政権の名代として米国のCIA長官や関係各国の情報機関長らとの接触を続けた。前述した7月のイランでのハマス最高指導者の暗殺では、イスラエルは自国の関与を認めていないが、バルネア長官が第一報を受けて歓喜し、局員の前でハシャギ、おどけている場面の動画を〝漏洩〟させている。その表情はまさに自信に満ちた様子だった。

 少なくとも現在の中東の国際政治で、バルネアは突出した歴戦のスパイ・マスターであることは間違いない。

黒井文太郎(くろい・ぶんたろう)1963年福島県生まれ。大学卒業後、講談社、月刊「軍事研究」特約記者、「ワールドインテリジェンス」編集長を経て軍事ジャーナリストに。近著は「工作・謀略の国際政治」(ワニブックス)

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