昨年10月から続くガザ紛争では、イスラエル軍によるガザ住民の大虐殺と呼ぶべき人道危機に陥っている。だが、流血の引き金を引いたのは、パレスチナのイスラム勢力「ハマス」による奇襲だった。ハマスはガザ地区から多数のロケット砲を発射。同時にイスラエルの周辺集落を襲撃し、多数のイスラエル市民を殺害したのだ。
しかし、ハマスは自力では、とてもあれほどの戦力は構築できない。その背後には、ハマス軍事部門を武装させ、訓練を施してテロの手法を指導してきた「黒幕」がいる。それがイランの工作機関「コッズ部隊」だ。ガザでの戦火はハマスとイスラエルの戦いと報じられるが、実際にはイスラエルに対するコッズ部隊の破壊工作でもあるのだ。
コッズ部隊が裏で糸を引く組織はハマスだけではない。現在、イスラエルと戦闘状態になっているレバノンの武装組織「ヒズボラ」も、戦力はすべてコッズ部隊が支えている。武器を供与し、軍事訓練し、戦い方を指導している。ヒズボラ軍事部門は実質的にコッズ部隊の指揮下にあるのだ。
それだけではない。現在もイラクの民兵連合「イラク・イスラム抵抗」各派がイスラエルおよびイラク駐留米軍へドローン攻撃を行っているが、同勢力もコッズ部隊の手下だ。さらに紅海を通過する船舶への攻撃を行っているイエメンの武装勢力「フーシ派」もコッズ部隊の指導下にある。
11年から続いているシリア紛争でも、民衆蜂起で劣勢となったアサド独裁政権は、コッズ部隊が支えたことで延命できた。コッズ部隊将校がアサド軍を指導したうえ、配下のヒズボラやイラク民兵、同じく配下のアフガニスタン人民兵などをアサド支援に派遣し、シリア反体制派や一般のシリア国民を殺戮させた。
それでもアサド政権が窮地に陥ると、ロシアのプーチン大統領を引きずり込んでロシア軍を派遣させ、アサド政権を救った。コッズ部隊は単なるゲリラ支援工作だけでなく、こうしたきわめて大掛かりな政治工作まで行う謀略機関でもある。かつて傀儡国家・満洲国を作って中国北東部を支配する工作を行った旧日本陸軍の特務機関のような組織│それがコッズ部隊なのだ。日本のメディア報道では、このコッズ部隊の存在があまり出てこないが、中東地域での紛争のほとんどで、コッズ部隊は暗躍している。戦火の火付け役として、コッズ部隊は突出した存在の「元凶」だ。
もっともコッズ部隊は最初からこうした黒幕的存在だったわけではない。
イランでは、79年のイスラム革命で誕生したホメイニ政権(当時)が、公式に「イスラム革命の輸出」を大義として掲げ、中東各地でイランの勢力拡大を画策していた。当初はホメイニ政権の与党であるイスラム共和党(当時)の「イスラム宣伝局」が中東各地で反体制テロ組織を育成した。その軍事的な指導にあたったのが、ホメイニの私兵だったイスラム革命防衛隊である。レバノンのヒズボラはその流れで、82年に創設された。
コッズ部隊はもともと、80年代はじめのイラン・イラク戦争下で誕生した革命防衛隊の特殊部隊「第900部隊」で、対イラク特殊作戦のほか、ヒズボラ育成やアフガニスタン・ゲリラ工作を担当した。そこがやがて「特殊海外作戦局」に改編され、イラン・イラク戦争終結時の88年にコッズ部隊に改編された。
89年にホメイニが死去し、門下生のハシェミ・ラフサンジャニが大統領に就任すると、海外での工作活動は大統領の甥が長官を務める大統領府情報部が主導した。コッズ部隊は大統領府情報部の下請けとして、外国の反体制派をイラン国内の軍事キャンプで訓練する活動を担当する。しかし、ラフサンジャニが97年に政権を降り、イランの政治権力をアリ・ハメネイ最高指導者が掌握すると、ハメネイ政権は対外工作の主導権をコッズ部隊に移管した。
そして、ハメネイはイラン・イラク戦争時からの歴戦の革命防衛隊将校だったカセム・ソレイマニをコッズ部隊の新司令官に任命した。このソレイマニが謀略工作の天才だった。03年のイラク戦争を機に、親イラン派イラク民兵の育成を強力に進め、混乱のイラクに大きな勢力を築くと、前述したシリア紛争への介入でシリアにも勢力を大きく広げた。前述したロシア軍を引き込む工作も、ソレイマニ単独の工作だった。
ソレイマニはハメネイから高く評価され、海外での破壊工作をほぼすべて委任された。コッズ部隊は上、革命防衛隊の特殊部隊だが、ソレイマニは革命防衛隊司令部を飛ばしてハメネイと直結し、イラクやシリアで縦横無尽に工作を行った。イランからレバノンに至る勢力圏を確立し、イエメンにも基盤を作った。ハマス武装強化も、ソレイマニが直接、指揮した。
だが、ソレイマニは20年、イラク民兵指揮官との対米軍テロ謀議のためにイラクを訪問したところを、米軍に爆殺される。謀略の天才だったソレイマニは殺されたが、その弟子たちが、さらなる破壊工作に邁進している。
現在のコッズ部隊司令官はイスマイル・ガーニ准将だ。57年生まれの67歳。革命防衛隊兵士としてイラン・イラク戦争を戦い、終戦後にコッズ部隊に加わった。97年にソレイマニが新司令官に就任したのと同時に、副司令官に抜擢される。以後、ソレイマニ側近として数々の破壊工作に従事した。彼自身、コッズ部隊の中枢で長年の経験を積んだ「謀略のプロ」である。
昨年10月のハマスの奇襲に、イランが直接関与したとの証拠はない。しかし、ハマス軍事部門とコッズ部隊の関係性からすると、コッズ部隊がまったく関与していないとは考えにくい。ハメネイと直結し、破壊工作の全権を任されているガーニ司令官は間違いなく背後にいたはずである。
黒井文太郎(くろい・ぶんたろう)1963年福島県生まれ。大学卒業後、講談社、月刊「軍事研究」特約記者、「ワールドインテリジェンス」編集長を経て軍事ジャーナリストに。近著は「工作・謀略の国際政治」(ワニブックス)