混迷が続くパレスチナ問題で、前回はハマスのキーマンを取り上げた。対するイスラエル側は誰になるのか。あらためて見渡したが、やはり最大のキーマンはベンヤミン・ネタニヤフ首相ということになるだろう。
すっかり注目の人となっており、〝国際ニュースに潜んでいる〟わけではないが、彼の個性や立ち位置が今の混迷の元凶でもあるので、どうしても取り上げざるを得ない人物なのだ。
ネタニヤフはイスラエル政界では実績豊富なベテラン政治家である。右派政党「リクード」の党首として、3度にわたって現在まで通算すると約17年もの首相経験がある。大物政治家と言っていい。しかも、その政権を担った時代は、対パレスチナ政策は強硬路線となり、幾度も緊張が高まってきた。パレスチナ側からは怨嗟の対象となる一方で、イスラエル政界にも意外に敵が多く、難局を強権的な手法で乗りきるのが、いわばネタニヤフの〝芸風〟になっている。
そんな人物がいかにして形づくられたのか。ネタニヤフは1949年にイスラエルで生まれた。小学校時代と高校時代を米国で過ごし、帰国後にイスラエル国防軍に入隊。特殊部隊将校となり、数々の戦闘に参加した。除隊後に再び渡米し、マサチューセッツ工科大学に学び、卒業後は大手経営コンサルタント会社で勤務。ビジネスマンであったネタニヤフの転機の1つになったのが、76年に起きたエンテベ空港事件だ。
パレスチナ人とドイツ人の過激派がテルアビブ発のエール・フランス航空機をハイジャックし、ウガンダのエンテベ空港に駐機してイスラエル人とユダヤ人の乗客を人質とした事件である。この時、イスラエル軍の特殊部隊が現地を強襲して人質を解放したが、その指揮官が戦死した。これがネタニヤフの実兄であり、彼はイスラエルの国民的ヒーローとなった。
ネタニヤフは78年に帰国し、その兄の名前をとった「ヨナタン・ネタニヤフ反テロ研究所」を作った。国民的ヒーローの弟として注目され、著名な政治家と人脈を築く。その政治家が駐米大使となったのを機に、ネタニヤフは駐米イスラエル大使館の副主席公使に転身。そこでの政治的な広報能力を認められ、国連大使を4年間務めた。
88年に帰国すると、右派政党「リクード」に入党して、いよいよ政治家となる。外務副大臣などを務めたが、91年の湾岸戦争では国際メディアにしばしば登場し、スポークスマン的な地位を確立。首相府副大臣に就任し、翌年にはリクード党首にもなった。96年の選挙で勝利し、イスラエル史上初の戦後生まれの首相になったのだ。
当時、イスラエルではハマスによる自爆テロが頻発しており、ネタニヤフ政権は対パレスチナ強硬路線を続けた。当然ながら、アラファト率いるパレスチナ自治政府当局との和平プロセスは著しく停滞していく。
それでもアラファトとの交渉自体を止めず、そのことで右派勢力から批判され、また汚職疑惑もあってネタニヤフは国民的支持を失い、99年にいったん政界を引退する。通信機メーカーのコンサルタントに収まるが、直後に政治活動を再開。03年には早くも財務大臣に就任している。さらに、05年にはリクード党首に復帰し、09年には2度目の首相ポストに就いた。
ネタニヤフはイスラエル政界のパワーバランスの中を、うまく泳いで連立を維持し、21年まで長期政権を担った。強気な交渉を志向し、対パレスチナでも同様だった。アラファトの死後に跡を継いだ自治政府のマフムード・アッバス議長の弱腰な対応につけこみ、圧力をかけた。それによって、パレスチナ自治政府と合意していたヨルダン川西岸地区での自治は実質的に骨抜きにされた。また、ガザ地区を実効支配するハマスに対しては公式には強い立場で敵対したが、時にパレスチナ自治政府を弱体化するためにハマスの権力基盤強化を黙認するなどの措置もとったことがあり、今回のハマスのテロの遠因になったとの批判もある。
米国との関係においても、特にトランプ政権とは密接な関係を築いた。もともとトランプの娘婿で政権の上級顧問となったジャレッド・クシュナーの父親がネタニヤフのかねてからの有力支援者という間柄を生かしたのだ。その成果として、エルサレム全域を首都と認定するという国際社会に認められていない無理筋の要請をトランプ政権に認めさせたりもした。
同時期にネタニヤフは汚職疑惑で捜査対象となり、19年に収賄罪・背任罪・詐欺罪で起訴された。21年に首相の座を追われたが、翌年の選挙で勝利し、3度目の首相就任となった。そして政権発足当初から、強引な司法改革をブチ上げた。最高裁の権限を制限するなど、司法への政府権限を強化する内容で、要は汚職疑惑を追及されている自身の保身のための強引な政治権力行使だった。
こうしたネタニヤフの露骨な保身は批判を浴び、イスラエル政界でも問題視された。が、簡単には転ばなかった。ネタニヤフは極右政党と手を結ぶことで乗り切ろうとした。極右政党から2人を主要閣僚に迎え入れ、ヨルダン川西岸地区でユダヤ強硬派が強引に入植地を拡大することの合法化を承認した。そのため23年には入植地が急速に拡大し、ヨルダン川西岸地区での暴力事件が頻発するようになったのだ。
こうして国内政治的にネタニヤフ政権は、ほとんど薄氷の上にかろうじて成立していたような状況で、昨年10月のハマスのテロは発生した。テロへの警戒を怠った責任もあり、もはや政治生命が断たれたも同然だったが、戦時ということで政権維持が優先され、今日に至っている。政権を追われれば汚職疑惑追及が待ち構えており、ネタニヤフにもはや退路はない。
そんな中、対ハマス強硬路線を続けているが、出口戦略なき長期化で批判はさらに高まっている。戦局を長引かせること自体が、彼個人の政権維持のためだとの批判もある。米バイデン政権はハマスとの交渉の仲介をしているが、交渉する気のないネタニヤフに、バイデンが「米国大統領をコケにするな」と声を荒らげたこともあったという。
ネタニヤフの保身が続けば続くだけ、紛争は長引き、ガザ地区で犠牲者は増え続けることになる─。
黒井文太郎(くろい・ぶんたろう)1963年福島県生まれ。大学卒業後、講談社、月刊「軍事研究」特約記者、「ワールドインテリジェンス」編集長を経て軍事ジャーナリストに。近著は「工作・謀略の国際政治」(ワニブックス)