トップに立つには想像を絶する練習をしないといけない、ということなのだろうか。サッカー元日本代表の松井大輔氏と伊野波雅彦氏、那須大亮氏が、那須氏のYouTubeチャンネルで、高校時代の練習を振り返ったのだが、なにしろどれも壮絶な話ばかりなのである。
3人はみな、鹿児島実業高校サッカー部出身。鹿実のサッカー部といえば、3人のほかにも遠藤保仁や城彰二、前園真聖を輩出した名門。練習が厳しいことで知られている。まずは那須氏が、
「鹿実といえば走り。まずは基礎体力」
と言うだけあって、とにかく走らされたという。
那須氏と松井氏がキツかったと弱音を吐いた練習は100メートル、200メートル、300メートル、400メートルの折り返し。走るタイムが決まっているため、マイペースで走ることはできない。これを練習が終わった後にするのだとか。新入生は走り練習を3カ月続けるため、多くの部員が辞めていった。
鹿実は試合に負けた時の罰則として、とにかく走らされた。インターハイに出場し、1回戦で敗れると、ホテルまでの20キロを走って帰らされた。伊野波氏が憤る。
「こっち、試合やってんですけど」
九州勢との試合で負けた時は、特に厳しい走りが課せられたと明かす伊野波氏。
「国見高校と試合して、バスで5時間移動して、負けたから帰ってきて1000メートルを100本しました」
これには先輩2人もドン引きで、
「それはヤバイなぁ…」
そう言うのが精一杯である。
伊野波氏はさらに、こんなエピソードも披露した。
「夏合宿、僕ら梅干しと塩を持って走ってましたからね。塩が盛られてて、梅干しはツボみたいのが置かれていて、(両手に)持ってこうやって走ってましたからね。水飲んで、塩を舐めて。血尿が出るから、みんな(両手で局部を押さえて)『痛い、痛い』って言って」
今なら問題視されそうだが、こんな厳しい練習に救われたこともあったと、松井氏は話す。
「プロに入ってから(練習は)厳しいと思わなかった。何も思わない。『こんなぐらいでいいのかな』から始まる。壁にブチ当たった時は、3年間があったからこそ乗り越えられた」
名門の強みが厳しい走り練習にあることは、間違いなさそうだ。
(鈴木誠)