夏の東京都知事選で、奇抜な政見放送など話題に事欠かなかったのがジョーカー議員こと政治活動家・河合悠祐氏(43)だ。くしくも一躍ブレイクした石丸伸二氏と同じ京大卒の才人は、単なる売名狙いの泡沫候補ではなかった。道化師の裏に隠された、本気そのものの政治信条に耳を傾けよう。
7月の都知事選は当選することよりも、自分の認知度を上げる、社会的ポジションをいかに取っていくかということがテーマでした。認知度が上がったのはよかったのですが、想像以上に悪者としてメディアに扱われたので、結果的にプラスだったのか、マイナスだったのか(笑)。
ほぼ全裸だった女性の選挙ポスターは、もちろん話題にしたいという狙いがあった。ふざけてやっていると思っている方もいますが、ちゃんと主張はあります。「表現の自由」です。以前から、映画でも「弱者の代弁者」として描かれていたジョーカーの姿で政治活動をしてきました。そのたびに選挙管理委員会からは「その顔では選挙広報に写真は載せられない」と。表現の自由を封じ込められてしまうと、戦前の日本みたいに現体制をひっくり返すことができなくなります。少しでも国の悪口を言ったら捕まえられてしまう。それでは、憲法上保障された「表現の自由」がないがしろにされてしまいます。「際どいポスターで炎上させたろかい」という思いもあった。だから炎上は織り込み済みだったのですが、男性の支持が予想以上に得られず、ほぼフルバッシングでしたね(笑)。そもそもHな動画を見ている人たちが、この時ばかりいい人ぶって。
選挙初日、ポスターの件で警視庁に呼び出され、見れば夜の22時に報道陣が100人くらいも待っていた。「殺人でもしたんかいっ!」というくらいの数でした。逮捕とか起訴ではなく、警告されただけなのにニュース番組で「緊急速報」として騒がれてしまうし。
政見放送でのパフォーマンス? あれは基本、スタジオで見届けている人たちがシーンと静まり返っているから、めっちゃやりづらいんです(笑)。21年の千葉県知事選でもやっていたので、ある程度、政見放送には慣れていました。それでも久しぶりにスタジオに行くと「うわっ、こんな場所で俺は机の上に乗ってやるの!?」と一瞬、奇抜なことはやめとこうかなと思いましたもん(笑)。
今回のスタジオでは「この位置だとカメラに映らないよ」とNHKの方がアドバイスをくれたり、半笑いしている人もいた。向こうも実は、心の中で楽しんでいたんじゃないですか。
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ところで、訴えた数多くの公約には「一夫多妻制」「保健所に連れられた犬・猫を永田町の敷地内に放し飼い」、さらには「憲法9条改正」を謳って「『交戦権の否認』を『高校生の避妊』に書き換える」など、目は引くもののあまりにブッ飛んでいて本気なのか冗談なのか、判断しづらいものが多かった。
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都知事選は、言いたいことをひと通り言ってやろうという感じでした。1例では「男女のデート割り勘化」もふざけてはいますけど、同じ思いの人はいっぱいいると思います。港区女子みたいなのに対して「何で毎回、こいつらに奢らなきゃいかんのかい!」って。
確かに「大麻の合法化」の提言で「渋谷区をシャブ谷区に」と添えたりしたのは、冗談の言葉遊びが過ぎた。とはいえ「大麻の合法化」は、医療に関しては認めてもいいと思っています。そもそもタバコや酒という、体に悪いものが認められていますよね。あれは税収があるからでしょう。
X(旧ツイッター)でのつぶやきや一部のポスターでは、わかりやすく真面目な発信もしていたので、見ていてくれた人にはこちらの主張が伝わったと思っています。
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10月の衆議院総選挙(埼玉15区)に出馬した際にはジョーカーを封印ししている。
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現在、埼玉県南部では、クルド人の不法移民の問題があり、「これを解決します」と主張しました。ウソの難民申請をして、出稼ぎ目的で来日しているクルド人がいるのです。申請の審査に時間がかかるのですが、その間も「仮放免」という形で彼らは日本での生活ができる。結果、時には犯罪に手を染める者もいるのです。「そうした不法移民を退去させなければいけない」「外国人に生活保護費を払う必要はない」と訴えていたので、「左派」の団体と揉めることもしばしば。演説を妨害されたり、大勢の人で壁を作って目的地に行かせてもらえなかったりして、身の危険を感じることもあったので、今も防弾チョッキを着用しています。
その衆院選でも敗れてしまいましたが、次は25年1月の戸田市議選に出馬予定です。ジョーカーはあくまで認知度を上げ、若者の投票率を上げる目的だったので、同企画は終了。都知事選では色々なことを言いすぎましたが、今回はワンイシュー「外国人の生活保護廃止」という民族の問題を中心にやっていきたい。
22年の草加市議選で当選した際と同様、駅前で辻立ちの日々です。見てくれている人たちは必ずいますからね。
河合悠祐(かわい・ゆうすけ)京都大学総合人間学部卒業、同志社大学大学院司法研究科を修了し、一般企業に就職後、人材派遣の会社経営者に。お笑い芸人としての活動を経て、21年の千葉県知事選以降、7度の選挙戦に出馬。22年に草加市議となったが、24年に都知事選立候補のため辞職している。