フジは「ミュージックフェア」(64年〜現在)や「夜のヒットスタジオ」(68〜90年)など音楽番組でも栄華を極めてきた。
その一方で、時代が早すぎたアナーキーな番組も生み出していたのである。
金曜日の20時台に放送された「ビッグベストテン」(79〜80年)は記録よりも記憶に残る番組だった。
「ランキングの集計方法が異なる以外は『ザ・ベストテン』(TBS系)とほぼ同じテイスト。初回放送からハプニングに見舞われます。1位になった桑名正博の『セクシャルバイオレットNo.1』をスタジオで本人が生披露する予定だったのですが、当日に参加した千葉大学の学園祭後に渋滞に巻き込まれて放送時間に間に合わずでした」(上杉氏)
まして裏番組には「3年B組金八先生」(TBS系)、「太陽にほえろ!」(日本テレビ系)、「ワールドプロレスリング」(テレビ朝日系)が並列している不運もあって─。
「海援隊は裏番組に出演しているため、武田鉄矢(75)の代わりに『贈る言葉』を石野真子(64)が歌唱したり、郷ひろみ(69)の『セクシー・ユー』を風邪で欠席した本人の代打でものまね芸人の若人あきら(74)=現在の我修院達也=が務めたりと何でもありでした。ただし、裏番組が強すぎて、同級生で見ているのはほぼいませんでした」(上杉氏)
先の会見に登壇したフジ・メディア・HDの金光修社長(70)も携わった人気番組「カノッサの屈辱」(90〜91年)もNHK番組のパロディーだった。他局の人気番組を模倣する手法は、過去の失敗を他山の石として再生産され続けていたのだ。
とはいえドラマ部門では、それが〝悪癖〟として自局の栄光にしがみついてきた面がある。21年間にわたって演者の成長そのものを追い続けて大ヒットした「北の国から」(81〜02年)は、連ドラと8編にもわたるスペシャル版が放送された。同作に続けとばかりに似たような作品が粗製乱造されたのだ。
「古谷一行主演の『オレゴンから愛』(84年)は『北の国から』のアメリカ版と言われています。主題歌がさだまさしなのも一緒なら、視聴者にウケた北海道富良野市の広大な自然がオレゴン州に代わっただけです。こちらも定期的にスペシャル版が放送されました。さらにはフランスのアラマ『アルザスの青い空』(85年)も山下真司(73)主演で放送された。いずれも現地で撮影されています。当時の潤沢な制作費がないと成立しない企画でしたね」(上杉氏)
その後、「東京ラブストーリー」(91年)や「ひとつ屋根の下」(93年)をはじめとする「月9ドラマ」でフジは一時代を築いたこともあった。しかしながら、平成後期からはその看板も凋落の一途。過去の栄光に浸るよりも、局の落日を自覚する転換期で、今回の大騒動が勃発したのかもしれない。