お粗末な会見で、火消しどころか延焼させてしまったフジテレビ。かつては12年連続で視聴率三冠王をほしいままにした「昭和黄金時代」があった。それも今となってはただの「遠い過去」として懐かしむことしかできなくなっていた‥‥。
1月27日の〝やり直し会見〟で港浩一前社長(72)は、中居正広(52)の女性トラブルを認識していながら、冠番組で起用し続けたことがやり玉に挙げられた。番組制作会社関係者が解説する。
「港前社長を含めてフジは企画力に乏しく、演者任せの番組になりがちです。キャスティングが命となるので、大物司会者と呼ばれるタレントへの忖度や接待が常態化していました」
とはいえ、それは過去の栄光たる「成功体験」が大きく影響しているのだろう。港前社長といえば、スターダムへと昇り詰めていく、とんねるずとの二人三脚が思い浮かぶ。
素人女子大生を演者に起用して、深夜番組ながら一大ブームを巻き起こした「オールナイトフジ」(83〜91年)もその1つ。昭和のテレビ史に詳しい、ライターの上杉純也氏が回想する。
「生放送ならではの伝説をいくつも残しました。とんねるずの石橋貴明(63)がシングル曲『一気!』の歌唱中にテレビカメラを抱き倒して破壊したり、松本明子(58)が笑福亭鶴光(77)らに煽られるままに『禁断の4文字』を放言して謹慎処分を受けたりと、後世にまで語り継がれるものばかりでした。特に初期には、女子大生に性的なビデオやお店を紹介させる破廉恥コーナーで人気を博しました」
TBS以外の他局も、土曜日の同じ時間帯をお色気番組で追随した。ライバル番組「ミッドナイトin六本木」(テレビ朝日系)でMCを務めた亀和田武氏も「敵ながらアッパレでした」と一目置いて称賛する。
「こちらもドクター荒井のマッサージなどで対抗して、1度や2度は視聴率で勝った記憶があります。それでも結局は『オールナイトフジ』を負かすことはできずに1年で終了してしまった。やはり等身大の女子大生ととんねるずという、化学反応が世間に支持されたのでしょう。女の子が『そんなこと口に出していいんですか?』と聞かれた石橋が『(俺のを)口に出すぞ! この野郎!』というような丁々発止がウリの1つでしたからね」
そんな港前社長が手がけたキラーコンテンツは、平成から令和にかけて姉妹番組が定期的に制作された。しかし、末っ子にあたる放送中の「オールナイトフジコ」は昭和ノリを中途半端に踏襲するばかりだ。
「全体的に艶演出が中途半端な印象を受けます。グラビア企画で水着になるのが関の山で、艶ハプニングも中学生の悪ふざけの域を超えません。コンプライアンスを意識してギリギリを攻めているつもりでしょうが、昭和を知る世代には薄味に思えてなりません。フルで視聴したのは初回だけですよ」(亀和田氏)
伝説の深夜バラエティーから派生して、夕方に帯番組として放送されたのが「夕やけニャンニャン」(85〜87年)だ。社会現象になるほど人気を博したのが、同番組発のアイドルグループ「おニャン子クラブ」だった。総合司会を務めた吉田照美氏が振り返る。
「芸人さんや女の子たちのわちゃわちゃの間に入って〝交通整理〟をするのが私の仕事でした。そんな役回りでも街を歩けば、すれ違った若い男性たちから『おい! ロバがいるぞ!』と私の愛称で呼ばれたものです。それだけ、若い世代がおニャン子、もとい夕ニャンを見てくれていたのでしょうね。ナインティナインの岡村隆史君(54)も新田恵利さん(56)の大ファンだったみたい。のちに『めちゃ×2イケてるッ!』で新田さんの自宅を訪問するロケに同行したのもいい思い出です」
地方ロケに赴くと、演者同士の赤裸々トークが展開されることもしばしばだったという。
「『甲子園に行かなくても校歌が歌えるコーナー』で高井麻巳子さん(58)とご一緒したのが印象に残っています。というのも、空き時間の雑談の中で『好きな男性のタイプ』を聞いたりする恋愛トークを展開したのですが、将来の結婚の話題になると彼女が『私は駆け落ちしちゃうかもしれない』なんて言っててね。のちに結婚相手が秋元康さん(66)と聞いてビックリしましたよ(笑)」(吉田氏)
気鋭の放送作家と人気アイドルの「禁断の愛」も昭和ならではのノリだったのかもしれない。