騎手界の宣伝隊長と呼ばれ、そのエンターテイナーぶりでも人気の後藤浩輝騎手(40)が、自宅で首を吊って亡くなった。度重なる落馬事故を乗り越え、完全復活を印象づけていただけに、突然の訃報に競馬サークル内に衝撃が走った──。
JRA美浦トレーニングセンター内が沈痛な空気に包まれたのは、2月27日の早朝のことだった。専門紙トラックマンが話す。
「誰もが耳を疑いました。21日のダイヤモンドS(東京競馬場)で落馬してヒヤッとさせられたけど、翌日の京都競馬場で2勝し、23日の精密検査でも異常はなかったみたいですからね」
後藤騎手は24日と25日の調教にこそ姿を見せなかったが、週末の騎乗予定馬が15頭と発表されていた。
「23日から栃木県のリハビリ病院で体のメンテナンスをしていたんです。その様子や宿泊先のホテルでの歌謡ショーを楽しんでいる姿をフェイスブックで報告していたんですが‥‥」(前出・トラックマン)
後藤騎手といえば、12年に2度の落馬事故で大ケガを負い、13年秋に復帰したものの、昨年春に再度の落馬事故で11月にターフに戻って来たばかり。そのリハビリ期間中の13年3月、本誌のインタビューでは次のように熱く語っていた。
〈父親や関係者から『調教師の道もある』と言われましたが、僕の中で騎手を辞めることはまったく考えなかった。やっぱり、2度目の落馬のあと勝利できたことが大きかった。もし落ちてそのまま病院だったら、辞めるほうに気持ちが揺らいでいたかもしれない〉
スポーツ紙デスクもこう話す。
「彼はよく『ファンに納得してもらえる騎乗ができなくなったら鞭を置く』と話していた。しかし、2月7日の東京9R『ゆりかもめ賞』では、5番人気の馬で最内、それこそ1頭分の隙間を猛然と追い込んで来て1着にさせた。生死に関わる落馬事故を経験した騎手とは思えないパフォーマンスに、記者席からは『すごい、完全復活だね』という声が聞かれたほどでした」
そのやさきに飛び込んできた突然の訃報。後藤騎手にいったい何があったのか──。
「実は22日の京都競馬場のパドックで『落馬王!』というヤジが飛んだんです。彼は『気にしてないよ』と言ってましたが‥‥」(前出・スポーツ紙デスク)
落馬については22日の夜にフェイスブックで謝罪している。
「とはいえ、21日の落馬は彼に非はなく、あおりを受けた側だった。ただ『最近、車でよくこする』とも話していたし、騎手としての危険回避の判断力も気にしてましたね。彼は感情の起伏が激しい一面もあったので『また落馬してしまった』という責任感から、今後の騎手人生に自信が持てなくなったのかもしれません」(前出・スポーツ紙デスク)
馬券を握りしめるファンを大切にしてきた後藤浩輝騎手の冥福を祈る。合掌。