好評のうちに終了した週刊アサヒ芸能連載小説「人生劇場」。親の愛情に恵まれずに育った新川猛夫が職人としての理髪師を目指し、やっと独立するも常に劣等感を抱えるようになり、届かぬ夢を追い続ける─。北海道を舞台に昭和から令和を駆け抜けた男の一生を描いた物語が、ついに単行本化(徳間書店より刊行)された。その産みの親である桜木紫乃氏に同作に込めた思いを聞いた。
─待ちに待った単行本化です。
桜木 本当にアサヒ芸能の事情も顧みずに、長々と連載させてもらって‥‥。
─とんでもない。こちらこそありがとうございます。序盤からグッと引きこまれました。特に猛夫の童貞喪失シーンは印象的で。
桜木 ありがとうございます。でも、そこですか?
─いや、エロいとかではなく、本当は先生が男なんじゃないかと思うぐらい、真に迫っているなと。
桜木 確かに、書いている時、性別はなくなるかもしれません。透明人間というか。まあ、普段の私は中身が親父ですけどね(笑)。
─親父といえば、この猛夫のモデルは、先生のお父様だそうで、言いにくいですが相当なダメ男ですね。
桜木 ダメ男というか、北海道なら、どこにでもいる男。私自身は珍しい人を描いたつもりはないんです。
─清廉潔白な令和の若者が読んだら、卒倒しそうなキャラクターですけど。
桜木 家事も子育ても両親が半々でという家庭で育った人からすれば、古臭いことを書いた自覚はあります。うーん、ダメ男か‥‥。
─それは定義にもよるとは思いますが。
桜木 ただ、デビュー当時から、ずっと「桜木さんの描く男は情けなくて、だらしない」とは言われてきました。これがスタンダードなんでしょうね。だから、女や子供を殴らないし、サラリーマンで毎月お給料を持ってきてくれて、なぜだかずっと一緒にいてくれるうちの夫は、神様みたいな存在ですよ。
─そんなご主人をお父様はどう見ているんです?
桜木 私が夫を連れて、実家に結婚の報告へ行った時、父はビルの権利書を見せてきて「兄ちゃん、いい物件あるんだよ。これ、どうだ?」って言うわけです。夫は「いや、ちょっと興味がないです」なんて返事をするから、「なんだよ、つまんねえな」って。今も「つまらない男」だと思っているんじゃないですかね。
─やはり、本物の猛夫は豪快なんですね。
桜木 腹と胸に動脈瘤を抱えて、いつ破裂するかわからないという状態になって、ようやく新しい商売を諦める、そんな人です。小説って理屈で説明できないことを、描写を重ねていくことでわかってくるようになる、そんな表現活動だと思うんです。だから、父がどういう人間なのか、人から聞いただけでは理解できなかったことが、こうして描くことで理解できるようになりました。
桜木紫乃(さくらぎ・しの)1965年北海道生まれ。02年に「雪虫」で第82回オール讀物新人賞受賞。13年「ラブレス」で第19回島清恋愛文学賞、「ホテルローヤル」で第149回直木三十五賞を受賞する。20年には「家族じまい」で第15回中央公論文芸賞受賞。主な著作に「氷平線」「硝子の葦」「ブルース」「ヒロイン」「谷から来た女」「青い絵本」などがある。