菅田将暉を兄に持ち、昨年末のNHK紅白歌合戦に出場した歌手といえば、「こっちのけんと」である。実は彼の前職が、テレビ局のAD(アシスタントディレクター)だったというから意外だ。最近では「下っ端」というネガティブイメージを払拭するため、一部ではYD(ヤングディレクター)と呼ぶなど、ややこしいことになっているようだが…。
そんな前歴が本人の口から明かされたのは、3月3日放送の「しゃべくり007」(日本テレビ系)でのことだった。
ADをしていたのは2016年前後で、偉大なる兄を前に人生を模索していた。歌手デビューへの道を歩んでいたが、兄が日本アカデミー賞を受賞したことで「自分はやっぱりまだまだだな」と痛感。「だったら並走して頑張るより、兄の裏方に入ってサポートした方がいいかな」と思い、父親に相談したところ、ADを勧められたそうだ。担当した番組は「マツコ会議」(日本テレビ系)。
AD経験のある有名人といえば、他にもニューヨークの屋敷裕政がいる。もともと芸人志望だったが、母子家庭で育った彼は堅実な道を歩もうと、大学を卒業後にテレビ制作会社に入社。「ネプリーグ」(フジテレビ系)や「ザ!鉄腕!DASH!!」(日本テレビ系)といった番組に携わった。だが過酷な仕事を前に「絶対、芸人のほうが楽だ」と思いながら見ていたそうである。
あの香川照之も実は元ADで、のちに俳優として出演する「日曜劇場」(TBS系)を担当していた。当時、東京大学4年生だった香川は、母親の女優・浜木綿子に「役者になりたい」と夢を告白。
俳優の道に反対していた浜は、過酷な世界を知れば諦めてくれるだろうと、「渡る世間は鬼ばかり」(TBS系)を手がけていた石井ふく子プロデューサーに頼んで、彼女に預けることにした。泉ピン子によく怒られていたというが、このAD経験によって香川はむしろ「ADはつらすぎるから、役者として出るほうが楽」と、さらに俳優業への強い憧れを抱いたそうだ。
さて、逆に芸人からADを志した稀有なコースをたどった者もいる。芸人みなみかわががかつて組んでいたコンビ「ピーマンズスタンダード」。この元相方・吉田寛はコンビ解散後、制作会社のADを3年経験。現在はAP、いわゆるアシスタントプロデューサーをしているそうだ。
(魚住新司)